ネオン前線北上中

 
 うちの看板娘 10 
デザイン製作
中部支部 (株)エステック
神村ともみさん
杉本佳那子さん
神村ともみさんと杉本佳那子さん  (株)エステックのニューフェース!デザイン製作の神村さんと杉本さんにお聞きしました。
――入社のきっかけは?
 転職したのですが、仕事内容が楽しそうだったので。(神村)
 モノつくりに興味があったので。(杉本)
――実際、仕事に就いてみてどうですか?
 神経を使う仕事なので大変です。ゴミひとつ入っても、少し曲がっただけでも商品にならないんです。(神村)
 デスクワークは苦手で、体を動かしてやるこの仕事にむいているかなと思います。(杉本)
――神経使ったり、体動かしたり、大変そうですね。逆に変わったことはありますか。
 いろいろなお店のサインが気になるようになりましたね。(神村)
 辛抱強くなったかな(笑)(杉本)
――すごいですね〜。今後の課題をお聞かせください。
 効率よく仕事がこなせるようになりたいですね。(神村)
 作業場の掃除をしてスムーズな動きを確保したいですね。(杉本)
これからが楽しみなキュートなお二人でした。がんばってください。
 はい!(声をそろえて) 

 

 
 う・ち・の・会・杜 95 
東北支部 (有)ライオン堂
大久保晴敏さん

大久保晴敏さん ライオン堂は昭和4年に、現社長の祖父、大久保馨さんが創業。昭和63年に父の光義さんが法人設立し晴敏さんで三代目になります。三代目は最近、国の法人に対する縛りを窮屈に感じ、個人経営に戻すことも考慮しているのですが、まだ踏み出せないでいるとのこと。
 業務の内容はサイン工事中心で電気工事も少々。他に FRP造形(ボウリングのピンは得意です)、内装、メンテナンス工事も行っています。バブル期以降「“何でも出来ます”はダメだ。“これならどこにも負けません”でなければ、と教えられたのに、今なお何でも屋で終始しています」と、晴敏さん。
 ライオン堂という屋号は、先々代がお世話になった大恩堂さんからの暖簾分けと伝えられており、「洒落っ気があったなと、感心しております。祖父と父に感謝しているのはライオン堂の後に「看板店」とは付けなかった事。『何屋さん?』と聞かれた時に、時代によっていろんな答え方ができる可能性がありますから」。
 屋号についてのエピソードを一つ。学生の頃、晴敏さんは、福島県の「ライオン堂の息子で跡取り」だ、というだけで見知らぬ食料品問屋の方から銀座でご馳走に。当時福島県には同名でチェーン展開している食品スーパーがあったとか…。いかにも運気の上がる社名です。

Back

トップページへ戻る



2007 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association