ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 100 
関東甲信越北陸支部 (株)オダギリ
宮古吉雄さん
宮古吉雄さん  プラスチック素材の商社潟Iダギリの大ベテランの宮古吉雄さんにお話を伺いました。
 宮古さんがオダギリに入社したのは取扱商品がセルロイドから塩ビ、アクリルにどんどん変わっていった昭和44年。それと同時に景気が右肩上がりに上昇していった頃です。
 「5年務めた金融機関に辞表を出したところ、上司が勧めてくれたのが今の会社です。経理募集でしたが、営業ができるならと入社しました」
 新米時代は「自分で売った物は自分で配達」が習いで、軽トラックに材料を積んで配達しながら営業もこなしていましたが、次第に営業専門に。
――ご自身の営業の心得はなんでしょうか?

 「まず自分を知ってもらうこと。それと、相手が何を欲しがっているか自分で考えること。自分で得た知識を自分の中に置いておかないで、欲しがっている相手に伝えていくこと。情報を得るということは信頼関係がないと難しいですね」
――経理より営業が天職でしたね。
 今にして思えば、そうかもしれないですね。人と関わり合うことが好きです。人との関係は大切だと思っています。入社当時からのお付き合いの仕入れ先もお得意様も個人的にお付き合いしています。両方大事です。買えないと売れないですから。
――ご自分のセールスポイントは?
 舌先三寸かな(笑)
 
 う・ち・の・会・杜 122 
北海道支部 (株)フクイ製作所
福井智明さん

福井智明さん (株)フクイ製作所は昭和38年創業、昭和41年に株式会社に組織変更しました。
 創業者は、現社長の福井智明氏の父上、福井二三男氏。勤めていた看板屋からの独立開業です。
 創業当時よりチャンネル文字、真鍮、アルミ、ステン、行灯のハコなど看板の金属加工を主な業務として業績を伸ばしてきました。
 二代目の智明氏は鉄骨関連の会社に5年勤務の後、昭和62年に入社。「大学生の頃から休日や夏休みは親父の手伝いをしていたので、自然にこの仕事に就くようになりました」
 時代と共にチャンネル文字が少なくなり、LED仕様に合わせてより薄く、軽く、細工が細かくなってきました。でも板金や組み立ての工法には大きな変化はなく、職人技が要求されます。社員数は精鋭6名。
 フクイ製作所は「仕事を頼まれれば断らない。父の代からですね。夜の作業も、休日返上も当たり前となりがちですが」
 「現在は屋外広告がほとんどですが、新千歳空港の中の店舗サインなど、屋内サインも少しずつ手掛けるようになりました。手の入れ方が違うのですが、細かい、小さいサインも大事にしていきたいですね」
 創業約50年。札幌にフクイ製作所ありと知られた先代の技を受け継ぎ、更に進化中です。

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