サインとデザインのムダ話

 
『震災後の後世に伝えるサイン 』

(株)新陽社 松渕泰典
公益社団法人
日本サインデザイン協会会員
 東北地方太平洋沖地震から3年の月日が経ち、震災の報道も減少し、いつものように日常生活を過ごすうちに、自分の中で少しずつ意識が風化しています。
  震災から一ヵ月後、被災された方が必要としている支援のことも分からないまま、米沢でサインの仕事を営んでいる(有)マルケイ工芸社の竹田氏とともに釜石市や陸前高田市などを訪れました。そこで見た想像を超えた光景を体感したことは、月日が経った今でも現地を訪れると蘇ります。
  それから、何度か被災地に訪れ、徐々に復興していく街の様子や現地の方の話しを聞く機会に恵まれていながら、その情報を伝えられていません。
  今回、協会誌に掲載される機会を頂きましたので、震災後の後世に伝えるサインのことを書きたいと思います。

  昨年7月、陸前高田市で味噌や醤油の醸造、販売の仕事を営んでいる老舗「株式会社八木澤商店」の大原工場を見学後、代表取締役の河野氏に市内を案内して頂きました。
  写真@は、震災前に陸前高田駅があった場所から撮影した風景ですが、瓦礫の撤去が終わり、残っていた建物の廃材が集められ、ほぼ更地になっています。写真左側に取り壊されていない米沢商会ビルが小さく見えます。このビルは、津波に襲われた際、オーナーの米沢氏が屋上の煙突部分の上にあがり、助かった場所です。
  写真Aのビルの屋上に設置している「津波到達水位」の表示は、ビルの下からもはっきりと文字を確認ができ、高さ14mの津波がどこまで到達したか?一目で分かるサインです。

@2013年7月-陸前高田市の風景 A米沢商会ビル-津波到達水位サイン
 
  「次の災害が来た時に、何としても被害を小さくしたい」という米沢氏の強い想いから、震災の悲惨さを伝えるためのモニュメントではなく、津波の高さを実感できるサインとして設置したそうです。
  これから、陸前高田市の被害のあった広い範囲は、防災メモリアル公園に整備され、津波の到達点などを現地で確認することができなくなります。
  その中で「津波到達水位」の表示は、震災の経験を後世に語り伝える大切なサインだと思います。
  震災後、被災地で津波防災サインを多く目にします。津波に襲われた際、適切な避難誘導を行うための重要なサインですが、統一された標識の設置が進んでいない状況です。
  写真Bは、震災から一年後、道路や信号機、電信柱などの整備が行われ、徐々に復興が進んでいる釜石港付近に設置されていた仮設のサインです。写真Cは、震災から1年半後、波止場に海水が浸水し、まだ整備が進んでいない塩釜港に設置されていたサインです。

 
  平成24年、公益社団法人日本サインデザイン協会は、防災デザイン協会と共同で、現在の津波防災サインの不備な点を整備し、配置・設置のあり方を含めた使い方を分かりやすく紹介するため、「津波防災サインのガイドライン(素案)」を作成しました。
  このガイドラインを活用し、全国で統一された津波防災サインの設置を進め、教育の一環として、学校や家庭の中で津波による災害についての学習と緊急時の避難訓練が必要です。
  津波防災サインは、一人でも多く人たちが津波から適切に避難するため、普及啓発活動を行い、後世に継続して伝えるサインだと思います。
  「情報を整理し、伝える」というサインデザインの仕事に携わっている者として、被災地の復興と再建に信念を持って取り組んでいる方々のことや、現地で聞かせて頂いた貴重な話しと撮影した記録写真を整理し、震災時、震災後に必要なサインのことを後世に伝えていく活動を微力ながら続けていきたいと思います。
  被災地を訪れる機会と地元の方々との縁を頂いたことに感謝し、東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方のご冥福と、一日も早い街の復興と再建を心よりお祈り致します。



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