サイン屋稼業奮戦記

 Vol.112
曲げ職人として思うこと
     東北支部 (矢沢ネオン工業 矢沢雄治

矢沢雄治さん  私がこの仕事に就いたのは今から25年前になります。大学を卒業して直ぐの入社でした。当時はとても忙しく現社長である兄が他業で秋田を離れていた為、残された私は先代に半ば強制的に、よその社会を経験する事もなく、ネオンの道に入らされました。
  入社後最初の3年は現場工事で、それからが曲げの修行です。
  ネオン制作では電極やチップ管の付け方からスタートしました。いざ自分で手をかけると見るとやるとでは大違いで非常に高い技術と忍耐力が必要な仕事と実感しました。特に曲げの段階に入ると益々大変で、小さいサイズの文字や複雑な漢字では折り返しの難しさにずいぶん苦労をしました。本当に根気のいる作業です。
  そんなこんなで数年を経て、先代から難しい物件も徐々に任せられる様になった時は自分も少しは職人として認めてもらい嬉しく思ったものです。そして自分の制作したネオンが街並を灯し、お客様から喜んでもらった時はネオン職人になって本当に良かったと思いました。
  しかしそれからはバブルの崩壊やリーマンショック、震災等・・・時代は目まぐるしく変化し、そして電飾系サインではネオンやFL・ランプ類がLEDに変わる比率が増え新規のネオン工事は以前と比べ少なくなりました。それに伴い曲げ職人の減少も深刻な問題です。私の知っている曲げ屋さんも高齢で廃業したり、他の職に替わられた方がいますが寂しいかぎりです。
  現在間接照明やカバー付きチャンネルにはLED仕様の発注が多くなりましたがお店や物件の内容に依ってはネオン仕様もまだあります。
  アウトラインの滑らかさや、職人の手作りでしか醸し出せない温かな光(直見せ)の魅力がそこにあるからだと思います。
  話は変わりますが数年前に酒蔵さんから電話があり、倉を整理していたら木枠に梱包されたほこりだらけの古いネオン管が出てきたので見に来てほしいという依頼がありました。
  出向いて見ると確かに相当年期の入った曲げ物で、破損が何本かありましたが同じものが2本ずつ入っており当時輸送の破損を考慮して予備として2組梱包していたものと察しました。 酒蔵の社長様からレストア出来るならお願いしたいとの事で会社に持ち帰り管を合わせたところ、当時の酒蔵さんのロゴでした。
  そして驚いたのが破損管以外ガス漏れも無く全て点灯したことです。工事になり基本現状管の使用でしたが3年目の今でも併設の直売所で輝いています。本当に丈夫です。
  話は戻り、サイン照明のジャンルにLEDが加わり早数年、今改めてネオンらしさとは何なのか、変化する時代にどう対応し継続して残して行けるかが大切だと考えます。
  お世話になったお客様、現在もご利用頂いているお客様、ネオン屋として当社を支えて頂いております同業他社様の応援があるからこそ続けてこられたこの稼業、厳しい時代ではありますがこれからも職人として続けられる限り頑張っていきたいと思います。
  PS:たまに昔の映画が見たくなりビデオ屋さんから『アメリカン・グラフティー』のDVDを借りて観ました。
  古き良き時代、’50sの音楽、当時のアメ車、そしてメルズ・ドライブインのネオンサイン。
  当時最先端を走っていたものは今見てもやはり絵になります。そしてネオンはまだ現役です。
  歴史のあるネオンサインをレトロモダンというような新たな感覚で改めてインテリアやディスプレーで表現していく事も必要かと考えております。



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