サインとデザインのムダ話

 
『Lightning Bolt 』

久田邦夫
株式会社GKグラフィックス
公益社団法人日本サインデザイン協会 常任理事
公益社団法人日本グラフィツクデザイン協会会員
久田邦夫さん

  海が好きである。
  娘と中学生になったら始める約束であったサーフィン。昨年から一緒に海に行く週末がはじまった。
  海に入れば目的はただひとつ。良い波をつかまえて、ボードをはしらせテイクオフ。一連の動きは考える前に身体に馴染ませる。ひたすらチャレンジしていると心が無になり、気持ちが晴れてくる。サーフィンは地球とのコミュニケーション。波があってこそのサーフィンであり、人だけの力ではどうにもならない。人は波と同化し、波のエネルギーを体感し快感を得る。そしてまた新たな快感を求め海に向かう。
  私が今一番、娘を連れて行きたい海は、ハワイ州オアフ島にあるサーフィンの聖地:ノースショア。エフカイビーチ(海底が砂で安全なポイント)で同じ波に乗り、バンザイパイプライン(世界選手権が開催されるエキスパートオンリーなサーフポイント。海底は鋭い!リーフ)見ながら一緒にクア・アイナのハンバーガーを食べたい。ただの親馬鹿サーファー願望である。
  私とサーフィンの最初の出会いは、1975年の初代クラリオンガールで、ロコ(ハワイ出身)の素敵なおネエさん!アグネス・ラムがきっかけであった。当時の私は、アグネス・ラムが稲妻マークのサーフボードをかかえたポスターを部屋に貼り、彼女の笑顔に勇気づけられていた。
  1970年代中頃はIVYのカッコイイお兄さん達が、ボタンダウンシャツにコットンパンツとローファースタイルで街を闊歩していた。私もカッコイイお兄さんを見習いIVYにトライしてみたのだが、どうもIVYを着こなすためのルールに馴染めなかった。そんな折りにIVYとは一線を画すサーファーのお兄さん達の自由さに共感し憧れた。
  当時のサーファーのお兄さん達が履いていた、厚底の黒サンダル(ビーチコマーと呼ばれていた)側面に入っていたのが、ライトニングボルトの稲妻マーク。アグネス・ラムが抱えていたサーフボードと同じマークである。私も当然のことながらビーチコマーを即買い。そして稲妻マークのネックレスも合わせて購入し、尖った先が胸元を赤くするにも関わらず愛用していた。
  『Lightning Bolt (ライトニングボルト)』とは、天才サーファーのジェリー・ロペスが、ハワイで稲妻マークを自身のサーフボードに使い始め、1971年に誕生したブランドだ。ジェリー・ロペスが、数々のサーフィン大会で活躍するとともに、1970年代〜80年代にかけて世界中のサーファー達を魅了していった。そしてサーフィンを題材としたハリウッド映画“BIG WEDNESDAY” が大ヒットし、世界的なスーパーブランドとなった。
  ライトニングボルトは私にとって初めてブランドを意識した憧れのマークだ。若い頃の憧れの記憶は未だに消えることなく良い思い出として残っている。私はヨーロッパの高級ブランドの価値も認めるし、アメリカのスポーツブランドもカッコイイと思うが、憧れを感じたことはない。巷でブランドに関する手法と価値に関する理論は各方面で語られているが、憧れを創る論法にお目に掛かった事がない。憧れを抱くブランドとは、送り手の思想に共感するからであり、マーケティングによる最大多数の顧客が好むような手法ではない。ましてや「10人のうち8人に好まれ2人に嫌われるよりも、10人に嫌われない事が重要である。」なんて考えでは憧れのブランドなんて決して創れない。そう言う私も、思想を具現化し自身が憧れるブランドマークを、これまで創りあげた事はないのだが。。。
  ライトニングボルトは、ここ数年アパレル関係で復活の兆しがある。私も久々に稲妻マークをバックプリントしたロングスリーブシャツを購入した。
  今週末も憧れのライトニングボルトの稲妻マークを背負って娘と海に出掛けよう。そしてライトニングボルトが私に与えた憧れを忘れずに、いつの日か素敵なブランドマークを創ろう。
  まずは娘に気に入ってもらえるように!&大切な奥さんに!!そしてみなさんにカットバック!!!


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