エッセー

 

マンホールの蓋を巡る旅

NEOS編集顧問 小野博之

 私がマンホールの蓋に関心を持ったのはもう30年近くも前になるが、林丈二の写真集「マンホールの蓋 ヨーロッパ編」(サイエンティスト社1986年刊)を目にしたのがきっかけだった(写真@)。


  林丈二は赤瀬川原平や藤森照信等とともに路上観察学会に属し、いろいろ面白い路上観察の本を出しているが、この本はどこの出版社も断ったといういわく付きの本である。でも、私には興味深く、強烈な刺激を受けた本だった。人々の靴の底で角がすり減った蓋の鋳肌が冷たく光り、まるで工芸作品のように見えた。一枚一枚の蓋のデザインがまた素晴らしい。彫りが深く重厚感をたたえる。
 すっかりその魅力に取り付かれた私は、以降海外を旅するたびに道路を眺め、マンホールの蓋の収集に努めた。異国の街を歩くときはサイン探しに忙しいが、不思議と珍しいマンホールには必ず目が行った。そうやって撮りためたマンホールの蓋はもう100枚近くにもなろうか。その収穫の一部はマスコミ文化協会発刊の「都市のデザインエレメントVol.2」に12ページにわたって収録した。
 各国のマンホールの蓋では、やはりフランスのものがデザイン的にしゃれていて見事だ。イギリスのものは、蓋の形状が丸、三角、四角からその変形タイプと変化に富んでいる。
 インドの蓋は無骨で土と同化したように茶色に染まっていた。
 日本の蓋は概して彫りが浅く、その土地の風景を取り込んだ観光ナイズしたものが多く、私にとっては興味が薄い。しかし、その中にあって素晴らしいのは名古屋と福岡のものだ。
 マンホールの蓋が登場する興味深い映画がある。キャロル・リードが撮った「第三の男」(1947年)だ。この映画はバックに流れるチターの演奏でも有名になった。第2次世界大戦終結直後の荒廃したウイーンが舞台となる。オーソン・ウェルズ演じるハリーは麻薬の売人で警察に追われる。最後に逃げ込んだのが地下水道で、警察隊が次々と水道に入る。そのときのマンホールの蓋が面白い。6角形をしていて中心から各辺に向かって花弁のように開くのだ。かなりの大きさがあり人が楽々と潜り込める(写真A)。


  私はこの蓋を是非実際に見たいと思い、ウィーンに行くたびに探し回ったが見当たらない。何しろ大戦前の蓋だから、全部撤去されたのかもしれない。それが何と、この春のツアーで見つかったのだ。私の宿泊ホテルにも近い、大通り沿いだった(写真B)。表面の文様は感心しないが、まぎれもなく「第三の男」に登場したものだ。各辺には丁番らしきものが並び、芯には円い切れ目がある。この丸型は地下で柱となっていて蓋の重量を支えているのだろう。私にとってはまさに“遭遇”であり“発見”だった。マンホールの蓋は普通鋳物製だが、これは軽くするために鉄板でつくってあるようだ。
 もう1本、私には記憶に深い作品がある。アンジェイ・ワイダのポーランド映画「地下水道」だ。やはり第2次大戦中、敗色が濃くなったポーランド兵は地下水道に逃げ込む。汚水の中の逃避は悲惨そのもので汚臭まで漂ってきそうだ。鉄棒のはまった換気口から見える風景は川の流れとその向うののどかな林だが、それはもう戻ることのできない異世界なのだ。病と疲れで倒れこむ兵士、絶望の余り気の狂う兵士。仕掛けられたダイナマイトで爆死する兵士。やっとマンホールを見つけ、這い上がった兵士は待ち構えていたドイツ兵に取り押さえられる(写真C)。背後には既に捕まったポーランド兵と抵抗して銃殺された兵士の山。救いのない結末だった。
  私はこのマンホールにどんな蓋がしてあったのか、思い出そうとしたが記憶がない。今回この記事を書くにあたって保管してあったDVDの録画を見直してみた。蓋は外されていた。ドイツ兵は蓋のない穴から光を入れ、誘蛾灯のようにポーランド兵を誘い出していたのだ。


  ヨーロッパの地下水道は生活の動脈を果たし、巨大でどこまでも広がっている。そこに物語が生まれるが、マンホールの蓋は表の世界と地下の世界を分かつ蓋でもあるのだ。
 今年の2月、ラオスを旅した。首都ビエンチャンでかなり大きなショッピングセンターに立ち寄ったところ、入口の床にマンホールの蓋があった。その蓋には「雨水 昆明市」の表示がありビックリした(写真D)。昆明市がこのショッピングセンターに資本提携でもしたというのだろうか。
  それにしても、マンホールの蓋をわざわざ昆明から運んでくる必要はない。これは一つの例だが、マンホールの蓋一枚にもいろいろの来歴が隠されていて面白い。林丈二の本にはそんな、マンホールの蓋に関する秘められた物語がたくさん出ていて興味が尽きない。


Back

トップページへ戻る



2015 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association