サイン屋稼業奮戦記

 Vol.125
日々奮闘 日々学習
    九州支部 ヤマモト 山本洋介

山本洋介さん  2016年も残すこと2カ月をきった頃、突然に執筆依頼が舞い込み何を書けばと思いつつ…。
 私は昭和38年に、長崎県諫早市に祖父が始めた屋外広告業のヤマモト工芸社(※現在(株)ヤマモト)の長男として生まれました。
 中学まで地元で育ち、高校から大阪へ。幼少のころから美術全般が得意で勉強は嫌いでした。
 大学は大阪芸大へ進学し、卒業後は百貨店や店舗のディスプレーや売り場の販売促進、マーケティングを主とした会社に就職。
 世もバブル全盛とあり、忙しい日々を過ごしプライベートでも人並みに結婚、歳を重ねるごとに仕事も覚え平々凡々と過ごしていました。 しかし40歳を迎えるにあたり、このまま会社勤めでいいのかと自問自答し、規模は小さいが家業の自分の会社で!と決意し、長崎にUターン。父(社長)に思いや理想を話し、家業を継ぎ現在に至ります…13年前の事です。
 入社当時は、年間通してもまだ地元のチェーン店のパチンコ屋さんや飲食店、メーカーや代理店から新規ネオンサイン工事の案件が継続的にあり、おかげで製作・施工・ネオンのイロハを自社従業員や社長、専務に叱咤されながら教育された事は今でも忘れません(笑)。
 正直、前職でのディスプレーや内装工事職の知識や経験があるので、何とかなるかなどと思ってた自分は甘かったです。サイン塔工事や高所のアンカー工事、基礎工事などサインに関わる工事なども然りです。
 現場に行きつつ、その都度勉強と学習、と要領の良さや、社内スタッフのフォロー、助けもあって今まで大きな失敗や事故もなくやってきました。 
 現在の私の仕事は社内形態も変わり、おそらくこの業界では珍しいかもしれませんが、業種を問わず営業に力を入れ、日々邁進しております。
 現調、図面製作、積算、資材発注・外注発注・施工後のフォローとリレー形式で案件処理。
 この仕事は何がやりがいかといえば皆様も同じだと思いますが、施工後にお客様が喜ばれたり、満足された顔を見た時がやはり一番感じます。この仕事やってて良かったなと。
 今後につきましては、ネオンの仕事といえば修理か補修が主。前期1年で修理11件、トランス交換3件のみ。日々案件は言うまでもありませんが、仕様・形態が変われどLEDが当たり前です。
 ネオンの、何とも言えない温もりのある妖艶な明かりが私は大好きです。修理やメンテナンスで手のかかるところ?も含めです(笑)。
 個人的な主観ですが、歓楽街や夜の街を灯す「色」はネオンの色彩が一番だと思うんですけどね。
 今、若いオーナー様のお店(美容室)の内装・外装サイン工事を承っております。店内・外ともスクラップ式ネオンで提案しました。
 若い人には、かえって新鮮なのか気に入って頂けたのか決めて頂き、進捗しています。
 最後に原稿を書きつつ、一番大事な事…経営、継続という点で、いろんな課題や指針も世の流れもみながらブレずに日々やっていかないといけないと再確認しています。
 好きでやっているこの仕事…“極め”たく思います。



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