ネオンの話

 

管曲げの島田真嘉さんが都知事賞を受賞

編集担当Y.N.

 今秋、島田真嘉さんが東京都知事賞を授与されました。(トピックス参照)
 ネオン管曲げ加工の技術を高め、技術技能の継承を次代につなげる事。また業界内で統一したネオン管マニュアル制作に尽力した事。講習会で講師役としてネオン管曲げ技術を広めていることも今回の表彰に結びついたとの事です。
 島田さんは創業のお父様島田昭夫さんの跡を継いで28年目。大学を出て1年間は静岡の曲げ屋さんで修行。意気揚々と帰って、さあ即戦力と周囲の期待が膨らんだが、プロパンと都市ガスの火力の違いで加減が分からず、戻ってすぐは仕事にならなかったとのことです。「使えない二代目だというレッテルを貼られたように思って悔しかったですね。その頃は仕事の量が半端じゃなく、本当に忙しかったので、すぐに慣れていきましたが」
 「昔は朝7時から夜9時まで、昼飯以外は休憩なし。多い時で6人の職人が今より狭い作業場でぶつかりながら仕事していました。厳しい親父でした。でも職人の環境を整える事、例えばバーナーを使うのでとても暑いのでエアコンの数は惜しまず、しかもバーナーの炎が揺れないように工夫をしてくれてましたね。そういう所は見習って、でも自分の代になり休憩時間はしっかり取るようにしました」
 25年前に出版され、話題を呼んだ橋口穰二さんの写真集「職 1991〜1995WORK」(1996年メディア・ファクトリー)に島田さん親子が登場されています。「5、6年間は一緒に仕事ができました。親父は面と向かっては言いませんが、私が継いだ事はとても喜んでいたと、人伝に聞きました」
 大田区にある(株)シマダネオンの作業場に伺った日は、3人若者が思い思いのネオン管曲げにいそしんでいました。毎週土曜日は8時から昼頃まで、時にはガスバーナーの取り合いにもなりながら、それぞれ曲げ作業。皆で昼ご飯を食べて解散となります。
 先輩格の森山さんは3年目で本郷さんは1年半。新入生の板倉さんはまだ5カ月。大きな作業台を囲んで作業に熱中する様子はなんだか放課後の部活動のようで、和気藹々として楽しそうです。さしずめ島田真嘉さんは部活の先生。生徒さんたちは島田さんのことは「しゃちょう」と呼びます。
 「今回の表彰は身の引き締まる思いです。自分がというより、業界のネオン管曲げという技能を絶やしては駄目なんだと改めて思いました。もっといいものを作って、ネオンを好きな人をもっと増やしたい。技を引き継いでくれる道筋ができてきたと思います」。
 シマダネオンのホームページは森山さんのデザインで一新。お客様ときちんと打ち合わせをしながら質の高いネオンを制作する先代からのポリシーを守りつつ、次代につなげる事で、ネオンサインの可能性が広がるようです。



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