ネオン屋稼業奮戦記

 Vol.128
技術を次世代に伝え未来描けるネオンサインを
    関西支部 特別会員 ヨシネオンスタジオ 安富義仁

安富義仁さん  ネオン管製作の仕事に携わって28年になりました。思い起こせば…大学を卒業後、就職したのは住宅メーカーでした。自分の設計した家を建てたいという一心で入社し、30件近くの戸建て住宅を建てた頃、硝子加工製造工場を営んでいた父親から、「帰って来て社業を継いで欲しい、ついてはネオン管の作り方の修業に行ってくるように」。
 誰から聞いたのか分かりませんが、当時、ネオン管の供給は需要にとても追いついてなく「もうかる」と聞かされたようです。思えば、バブルが始まっていたのでした。
 徒弟制度の最たる業種であり、門外不出であったネオン管作りを珍しく素人から指導して頂ける会社があり、大阪を離れ、単身千葉県へ。ホテル住まいで一カ月経った頃、再び父親から「仕事を受けてしまったので、早く帰るように」と。何人かいた修業者の中で比較的のみ込みの良かった私は、無理矢理ひととおりの過程を終了して大阪に戻り、仕事をスタートさせました。
 住宅メーカーで営業をしていた自分(スーツを着たサラリーマン)が戻った父親の会社は、一言も口を利いてくれない職人ばかりの世界。「なんだこりゃ」の違和感だらけで、理解できませんでした。
 そうして、私だけがネオン管製作を始めましたが、最初はどの職人にも協力してもらえず苦悩の日々でした。その後、彼達もネオン管を作りだすのですが、そこに至るまでが大変でした。私のような素人に教わるのはプライドにかかわります。ましてや、社長の息子となると…。
 そこでイラスト付きの製作マニュアルを作り、大きく拡大して壁一面に貼っていきました。素直な気持ちを持って指導を受けれてくれればもっともっと早く修得できた事を、先入観、プライド、偏見が邪魔をして、とてつもなく時間がかかりました。伝える事って本当に難題だと痛感しました。逆にズブの素人のほうが早く修得出来るのだとも思いました。
 その後、紆余曲折あり現在に至るのですが、この業界もご多分に漏れず、高齢化・後継者不足により、技術の伝承が心配されます。動画配信サイト等で少しありますが、技術っていうのは三次元ではなく四次元以上なのです。心構えや思いというものがベースにあってこそ、その上に重ねていけるものです。必要であった技術も、その頻度が下がって携わる人も少なくなり、いずれはどうなることやら。
 話は変わりますが、私はディズニーの「カーズ」という映画に出てくるネオンの描写が大好きです。内容はアメリカのかつては賑わっていた街道の近くを高速道路が通り、人々がその街道を利用しなくなり、町がさびれて行くのですが、再びその町に活気を戻そうとする物語です。そこに出てくるネオンサインがアニメーションですが、秀逸なのです。何度もそのシーンを見てしまうネオンがあります。皆様もDVDで是非見て下さい。
 私はあんなネオンサインをお客様に提供出来たら最高に満足だなあ。仕事量は少なくなり、業界も小さくなってしまっていますが、あの魅力的なネオンの光の良さを理解して頂けたら未来はあるのかなと思います。
 最後になりますが、若い人達が未来を描けるようなネオンサインであれば素晴らしいと思い、これからも製作を続けていこうと思っています。



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