サイン屋稼業奮戦記

 Vol.130
時代は変わる。変化に沿った表現を。
    中国支部 (株)坂本美工 取締役 坂本貴寛

坂本貴寛さん  小学生時は剣道をやり、中学生時はサッカーをやり、高校生時は音楽にはまり、さて大学?
 はたして自分は将来何がやりたいのだろう…ミュージシャン?いやいや、しかし、高卒でいきなり家業を継ぐのは嫌だなあ。大学には行きたいけど勉強はしたくねえなあ…。あ、自分美術は小さい時から成績良かったし、周りからも褒められてたし。そうだ、美大に行こう!というノリでその道に進みました。
 しかし大学の4年間、音楽活動に再度はまってしまい、このままプロ目指すか!またまたここで考えました。「音楽は楽しいけど、これで飯食うとなると色々縛られ嫌いになってしまうかも。折角4年間美大行かせてもらったし、その道で飯食ってみよう」と考えを改め、卒業後は広告代理店へ就職しました。
 私はデザイナーとして就職しましたが、これが苦になるどころか結構楽しい。家に帰ってもラフ考えて、徹夜でレイアウト模索して、プレゼンに備えて、そして勝ち取った後は朝まで飲んで(負けた時もですが)。毎日毎日、何度も何度もディレクターにやり直しを課せられ、腹立たしい思いもしました。ここで学んだのは、例え3行広告のスペースであっても決して手を抜かず、納得いくまでクライアントの言いたい事を表現する、という事でした。ディレクター、コピーライター、フォトグラファー、イラストレーター、そして私(デザイナー)、様々な分野の人間との共同作業も今の仕事に活かされている様に感じます。そして、今となっては全てが己の糧になっていると確信しています。
 さて、そんな会社を5年弱で辞め、いきなり現在の家業の看板屋を手伝う運びとなりました。
 当初は、鉄骨?構造計算?アンカー?そんなん知らんわ!の毎日でした。
 突然帰ってきた見知らぬ人間に対して、当社社員、関係会社の皆様方は根気強く教えてくださったと思います。ネオン管も何回割った事か、何度ビスを飛ばした事か、失敗数知れずです。しかし現場を共に経験させていただくうちに、右も左も判らない自分も何となく看板業というものが理解出来る様になりました。
 その中でまず最初に痛感したのは、景観に準ずる表現をしなければならない事。各地の条例や規制に沿ったものでないと看板は掲げられません。これは、前社ではほとんど考えていなかった事でした。
 また、看板は二次元ではないという事。以前携わった業界では紙媒体、映像媒体と言った二次元表現がメインでしたが、看板は常に主に三次元表現であるという事です。加えて二次元表現が一定期間一時的なモノ対して、看板(三次元表現)に関してはそうではありません。デザインが良いのは当たり前、それに加え強度の計算、経年の劣化予測も考えなければいけません。
 ここ数年、全国で看板破損、落下事故等が特に注目されてきています。私が参加している中国支部の青年部も、関西・九州・四国支部の各青年部と合同で、この看板業界の未来を変えていくという目標を掲げ活動しています。新設の看板はもちろん、既設の看板に対しての安全点検や製作過程での指標を作成し、いずれ全国で統一されるであろう看板業界の新しい定説を掲げて、業界が絶える事無く繁栄していく。このNEOSを読んでいただいている皆様もご理解していただいていると確信し、全国の看板業を営む皆様がより良い未来を築けるようベストを尽くしていきましょう。
 看板…時代とともに、表現方法や置かれる状況は変わってきています。
 板面はペンキ塗りからシートや出力へ、そして光源はネオン・蛍光灯からLEDへ。
 ある都市では景観条例から看板撤去から規制へ。あるネオン製作会社は、ネオン管の衰退と共に、ガラス細工の工芸品で新たな道を拓いていると聞きました。
 これらは全て時代の流れであり、これは我々に課せられた進化の強要かもしれません。
 全国各地で景観に対する考えが厳しくなり、また刻々と条件が変化していく今、まさに看板屋のアイデアを競う時代なのではないでしょうか?当社でもそのアイデアを含む競争に挑むべく、それらを具象化する為に新型のレーザー・ベンダー等最新機器を投入しました。投入したところでまだまだフル稼働とはなっていっていません。機械があってもそれをフレキシブルに扱えなければそれはゴミ同然です。要はそれを扱う人とアイデアを成長させなければなりません。本当に看板屋は大変だと思います。これからの時代、条件がいろいろ厳しくなるばかりですから。景観・その地方の条例、条件の中でいろいろな課題をクリアしていく表現のアイデアがこの先の必須条件だと思います。
 現在、私は広島市から依頼を受け「広島市景観審議会車体AD専門部会」の委員をやらせていただいています。これは市内を走るバスや電車のラッピング広告の事前審査をする会です。今まで蓄えた知識の中でクライアント様、製作会社様にアドバイスをしています。
 平和都市広島を走る交通機関が如何に景観と調和したものであるか、審議の会を重ねていく上で自分自身も改めて勉強させていただいています。このような貴重な経験も今からの自分の考え方に大きく影響していくと思います。
 私も持てる力がどれだけあるか未知数ですが、それを絞りきれるよう精進していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
 ちなみに音楽活動の方はと言いますと、今でも続けています。あの時、プロ目指していたら今の自分は無かったでしょう。何事にも縛られず、楽しく仲間と演っています。ここ数年は小遣い程度ですがギャラも貰ってます。こちらはこちらで楽しいです。



Back

トップページへ戻る



2017 Copyright (c) Japan Sign Association