サインとデザインのムダ話

 
「綺麗を見ると日常逃避できる論」

加藤美香
デザイナー
株式会社マイサ代表取締役
公益社団法人日本サインデザイン協会 理事
加藤美香さん

 大学を卒業して業界最大手の下着メーカーに就職した。バブル経済の最終期、証券会社に入社した友人は、上司の海外出張土産として部署の女子社員全員にルイ・ヴィトンのお財布が配られたと喜んでいたような、とんでもない時代である。
 私の職場も絶好調、老舗のブランド力と毎回話題を呼ぶ斬新なCMのおかげで、新製品を発売すれば、店舗に配分された商品は即日完売となり、1枚10万円前後の高級肌着が、40代から60代のご婦人を中心に飛ぶように売れていた。仕事だからと割り切って働いていたが、外から見える洋服ならまだしも誰にも見えない下着になぜそんなにお金をかけるのか、新卒の私には理解できないことだった。
 「女はね、幾つになっても気分を高揚させるようなものが好きなのよ。宝石つけて他人に見せて優越感にひたるのとはちょっと違うの。綺麗なものを見ている時は日常から逃避できるのよ。あなたも歳を取ればわかるわよ。」いつも気前良く買い物をしていく常連マダムを接客していた時、彼女が言った言葉である。何だか誰かのコラムの受け売りみたいに聞こえて、全く共感することができなかったけれど、なぜか記憶に残っていた。しかし今ならすごくわかってしまう。
 上質で滑らかな光沢を持つサテンやベルベット、妖しい光を反射するゴールドやシルバーの造形物、金剛石の果実を撓わに実らせたようなスワロフスキーの塊、そんなものを目にすると胸が高鳴り、気分が上がる。
 映画で言えばレオナルド・ディカプリオが演じたほうの「ロミオ+ジュリエット」と「華麗なるギャツビー」(どちらも監督はバズ・ラーマン)。鮮やかに輝くネオンサインで作られた十字架が幾重にも連なる墓地のセットや、狂騒の1920年代を写し取ったような煌びやかなパーティーシーンは圧巻である。「ドクターパルナサスの鏡」(監督は『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアム)ではジョニーデップが老婦人と彷徨う背景に、アクアブルーの水中に並べられた巨大なハイヒールが登場する。美しいけれど、ちょとずれている、どこかに違和感を感じさせる映像に反応してしまうのだ。これは単なる個人的嗜好か、はたまた女性特有の加齢による「現実逃避病」なのか…さておき本題に入ろう。
 最近、医療施設や遊技場の女性専用スペースのインテリアデザインやサイン計画のプロジェクトに参加する機会が増えた。女性専用スペースとは待合室や休憩室、トイレ、パウダールームなど男性が入室しないことを前提とした空間である。遊技場であれば滞在時間を延ばしてもらうため、医療施設であれば泌尿器科や皮膚科など男女を別にした方が互いの緊張感が軽減できるためと、施主によって設置の動機も様々である。したがって女性専用車両などの公的設備が掲げる「弱者を優先して保護する役割を果たす目的」とは異なる部分がある。
 右のパース画像は、ある泌尿器科の計画図である。(写真1)はエントランスからの眺め。右側は男性用待合室をさり気なく遮るステンレス製のパーテーション、左奥にはグラフィックパネルと切り文字で誘導する女性用待合室が見える。(写真2)は女性用待合室の入口。男性用待合室の鉱質的な直線造形に対して、木目のパネルで柔らかな曲面を設けている。(写真3)は女性用待合室。曲面パネルの上部には間接照明で光の演出を行う。(写真4)は男性用待合室。予め受付での「口頭による誘導」を前提にしているので、グラフィックパネルの色差(男性は青、女性は赤)が記名サインの役目を果たす。

   

 余談だが、医療施設ではサイン計画とホスピタルアート計画が並行して進められる場合がある。建築設計者を中心にプロジェクトが進む場合は問題ないのだが、同じ場所でサインとアートのバランスが取れず、落ち着かないケースに遭遇することがある。視認性の検証や設置方法の提案などサインデザイナーやサイン製作者がアート計画に協力できる場面は数多くある。アーティストやアート作品提供者と積極的に関係を持つようになれば、ホスピタルアートもサイン関連ワークとして成立するのではないかと考える(写真5:ホスピタルアート+サイン計画図)。
 (写真6)は遊戯場の女性ラウンジ入口通路の計画図である。左に見える黒いスペースは自動販売機と男子トイレにつながるコーナーになっていて誰でも利用できるが、右側の白い壁からは女性客しか入れない。磁器人形で有名なスペインのブランドが製作した磁器性マルチカラーのシャンデリアと壁面の装飾パネルの中に吊るした6色のペンダントで、砂糖菓子のような甘やか女子オーラ全開の空間を目指した。そして(写真7)の女性専用ラウンジへと続く。主婦なら自宅用には絶対選ばないオフホワイトビロードのソファ、カットワークの妙で透明な光を放射する樹脂製のペンダント、アクセントに添えた墨絵をイメージした金属パネルで非日常空間を演出した。(写真8)は女性用パウダールームである。空間の狭さを補うために壁面に鏡を多用した設計だったので、柔らかく包むようなニット柄のモチーフを鏡に貼って、お化粧直しの時の映り込みの不快感を軽減させた。奥の壁面のフレーミングしたウォールグリーンには、メッセージボードのようなサイン的要素を持たせている。

   

 女性専用スペースをデザインする時、私はいつも非日常的な要素を取り込もうとする。現実をきちんと受け入れて、この先もしっかり生きていかなければいけないことがわかっているからこそ、束の間の逃避で心と頭を休めてほしい。それに、綺麗で非日常的なことを考えるのはとてつもなく楽しい。
 サインとは、人々の行動のよりどころとなる情報を具体的なかたちで表したもの(SDAホームページより)。マダムが言っていた「綺麗を見ると日常逃避できる論」を頭の片隅に置きながら、よりどころとなるサインにまで到達させるためには、もっと沢山綺麗なもの見なきゃなーと旅行の計画を立てる今日この頃である。



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