ちょっとヒント・うちの会社では

 
看板屋として60年
    北海道支部 サイゴク(株)西國宏治

 昭和35(1960)年4月、先代が筆1本からサイゴク堂として個人創業で始めた看板屋で、当時は木枠を作りトタンを張りペンキを塗って文字を書く看板でした。
 看板を注文するお客様は書き職人と打ち合わせをします。色程度の打ち合わせあとは職人の感覚に任せるという仕事が多かったようです。書き職人に任せるといった感じでした。看板だけでなくガラスに金箔文字や板看板に手掘りの文字でカシュウの色入れなど今のシートや塗装では艶などを表現できない手の掛った仕事をしていたように思います。
 私は昭和54年から親の仕事を手伝っております。筆で文字が書けるようになったら一生ご飯が食べられるようになると聞いて仕事をしながら夜な夜な文字書きの練習をしたものです。(文字は親を超えることができず)親を超えるにはどうしたらいいかをずっと考えていました。
 ものづくりだと考え、22歳の時にシルク印刷を独学で勉強してからが今のサイン会社の始まりだったように思います。またカッティングの切り文字が出始め、手書きだけでは食べられない時代が来たように思いました。
 26歳の時にはカッティングマシンを導入し、それと同時に金物の製作を開始、28歳の時には社長を交代してくれと親から言われ、何が何だかわからず毎日が忙しくしていましたが、このあたりからフルカラーの大型インクジェットマシンの導入、本社工場の移転、北広島に金物製作工場新設、金属加工機械の導入で設備をしてきました。小さいながらもすべての事ができるようレーザー加工機、NCルーター、等々でアクリル、金属加工までできるようにして施工には4tクレーン車、高所作業車(25.5m)を入れて対応できるようにしています。
 近年は、看板の落下にともない人身事故や物損事故などが起きていますが、より安全性の高い製品づくりをめざし日々奮闘しています。また当社社員にいろいろな勉強をしてもらい、さまざまな作業の資格を取得させて、お客様への対応は既存看板の状況を目視だけでなく、実際に看板内部の点検をして写真を見てもらい説明できるようにしています。
 これからの時代は新規サインだけではなくメンテナンスの時代に入っていくことになると思います。今の時代は昔と違って機械が約半分仕事をしている時代になっています。品物の製作時間の速さ、綺麗さなどは当時から見て相当変わっているのです。だからこそ取り付け時の安全性などに気を使っていかなければなりません。北海道も近年は温暖化のせいか、たまにスコールのような雨や強風が吹くようになりました。より一層のサイン・看板の強度や安全性を目指して設計・製作・施工をしていこうと思います。今期に入り創業60周年になり来季には創立50周年を迎えますが、お客様へ納得のいった物より、安全性の高い物を提供できるよう頑張っていきます



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