サインとデザインのムダ話

 
店名、つれづれなるままに
宮崎  桂さん 宮崎 桂 ミヤザキ ケイ
株式会社KMD代表取締役
公益社団法人日本サインデザイン協会会長
前橋工科大学客員教授
早稲田大学芸術学校非常勤講師

 ひとむかし前、街のどこにでもあった個人経営の喫茶店は、不思議と当て字の名前が多かった。「来夢来人」(ライムライト)に代表されるような昭和の遺産ともいえる店名だ。当て字名はなぜ流行ったのか。亜米利加や仏蘭西、露西亜みたいに国名や外来語を漢字で表記したのは遣唐使の時代からというからびっくりだが、現代に近づくほどカタカナ書きが一般的になっていることを考えると、当て字名は昭和の時代のノスタルジックな遊びなのか、あるいは、文字に意味を当てはめなければ気が済まない、やたら理屈っぽかった時代の流行なのかもしれない。そもそも喫茶店の主役である「珈琲」も立派な当て字であることに気づく。「コーヒー」より「珈琲」と書いた方が高級で、お金も高くとれそう・・。と、考えると、当て字はカタカナに威厳を持たせるためとも思えてくる。
 今はずいぶん少なくなった当て字の店名だが、私がよく行く地域にまさに当て字の典型のような「珈琲亭羅巣」という名の茶色い看板の店があり、そこを通りかかるたびに無理やりすぎる読ませ方が気にかかっていた。「コーヒーテラス」と書けばさわやかなものを、テラスに漢字をあてるとまるで蜘蛛の巣かコウモリの巣みたいな巣窟が頭に浮かんでくる。「笑ゥせぇるすまん」の主人公、喪黒福造行きつけのBAR「魔の巣」のようなあやしさだ。漢字には意味や印象がつきまとう。
 それとは逆に、日本語を外国語(アルファベット)に置き換えた例もある。先日、たまたま車で通りがかった知らない街で、パチンコ店らしい大規模な店舗の塔屋にDELDASという大きな文字看板を見かけた。一見、外国語かと思いきや、「デルダス」と音にしてみるとあまりに直接的な意味で思わず吹き出してしまった。これなどは日本語をアルファベット当て字にした傑作ではないか!
 ところで、気にかかる店名で、私の住んでいる地域に面白い一角があるのでご紹介したい。
まずは、「ロダン」という名の理髪店である。すでにやっているのかいないのかもわからないほどさびれて、行く末もそう長くはなさそうであるが、開店当時はおそらくオシャレな店だったのだろう。「ロダン」という音の響きからどことなくダンディズムも感じるし、芸術家の名前をもってきたところからみても、ある意味美意識は高いともいえそうだ。理髪店には悪くない名前である。
 そして、高貴?なロダンの右隣に構えているのが、全くの偶然ではあろうが、偉大な芸術家ピカソから名をとったスナックだ。「ぴかそ」はロダンに負けず劣らず古くて、小さなスナックである。(そういえば昔、小さなスナックという歌がありましたっけ)
 考えるに、「ぴかそ」という店名はかなり少ないのではないか。ルノアールやマチス、スーラなどに比べかなりポップな響きだからだ。それをあえて付けた背景には何があったのだろう。どうでもいいけれど気にかかる。
 「ぴかそ」は夜、通りがかると、カラオケの賑やかな音が聞こえてくる場末のアットホームな店だ。以前、この店にタクシーで乗り付けた老人がいてびっくりしたことがあるが、さらに驚いたのは、足元もおぼつかない老人が扉を開けたとたんに中から、「キャー!○○さん、いらっしゃい♪」という女性の大合唱。こんなに歓迎されるんじゃお客もさぞかし嬉しいにちがいない、と、タクシー横付けの理由も大いに納得できたのだ。なじみ客とはありがたいもの。「ぴかそ」は案外、押さえるところは押さえて堅実に経営していることを知った。こうしてみると、繁盛とは店のセンスと全く関係なさそうで、店は客がつくる、と言っても過言ではなさそうだ。
 さて、私が「ロダン」と「ぴかそ」のある街に引っ越してきてかれこれ20年以上になるが、ここへ来て長らく二軒だけだった一角に、全く思いもしない展開があった。ロダンの左隣に「ミロ」という名の居酒屋が現れたのだ。まさにこれは事件である。「ミロ」は、閉店放置された粗末な店舗を改装したチープな店で、カタカナで「ミロ」と書き入れた赤いガラスのブイが店の前にぶら下がっているのを見るに、センスがイマイチで、もしかして画家ミロから名前をとったものではないような気もしてくる。しかし、由来はどうあれ、この店名を発見した時私は「やったー!」と小躍りした。ロダン、ピカソに加え、ミロという三巨匠が隣り合ったからだ。こんな偶然そうはない。
 そして、ここで話は終わると思いきや、実はまだどうでもいい話は続くのである。居酒屋ミロの開店より遅れること半年。今度は、ミロの左隣にいつのまにか地味な店が開店していた。店名に敏感になっている私は、過大な期待を抱きつつ、名前を確かめるためだけに用のない店舗に近寄っていくと、白くペイントされた木の看板に「ジョアン」というカタカナの文字が見てとれた。服飾雑貨の店らしい。
 残念ながら芸術家の名前ではなかったことに落胆したのではあるが、別の意味で少し笑えた。なぜならジョアンとミロの二軒で、ジョアン・ミロ(ミロのフルネーム)と完結しているからだ。なるほどこう来たか!と感心さえしてしまった。果たしてジョアン店主は、右隣のミロを意識して付けたのだろうか。チャンスがあったら聞いてみたい。
 店はめまぐるしく変わる。できたかと思えばなくなったり、あるいは居抜きで店名だけがいつのまにか変わっていたりと入れ替わりが激しい。聞くところによれば、店舗というのは開店後3年以内に80%が消えていくというのだから驚きである。閉店理由のひとつに店名や看板のデザインがあるとはあまり考えにくいが、最近では「いきなりステーキ」、「変なホテル」のようにフレーズやタイトルでコンセプトを印象付けようという傾向や、「しょぼい喫茶店」のようなあえて自虐タイトルなど、注目度をあてにした店名がぽつぽつ見受けられる。だが、奇をてらえばてらうほど賞味期限は短いのではないか。
 店名とは、まさにその時代が求めるキーワードである。時代背景を意識した店名を調べていくと何か発見がありそうな気がする。イグノーベル賞めざして調査研究の余地あり、かも。
 この後は、どのような感覚の店名が現れ、顧客を喜ばせてくれるのであろうか。全く他人事であるがゆえ、大いに楽しみである。


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