サインストーリー

 
「怪物」
東山彰良
東京新聞 2020年6月15日


 わたしは彼女の裸体を想像したが、彼女はわたしの裸体を想像しているふうではなかった。目を見ればわかる。椎葉リサの、どちらかと言えばあまり大きいとは言えない目には親しみを覚えたが、それは職務上の礼儀を越えるものではなかった。年を取って困ることのひとつは、こちらが女性に対してどんどん寛容になっていくのに、あちらは逆にどんどん厳しくなっていくということだ。男としての値崩れが止まらない。仕立てのよいスーツや高級な腕時計は、そんな男たちの悲しみの本質なのだ。ものの哀れに微笑していると、彼女が言った。
「マッキントッシュのコート、お似合いですね」
 わたしはスコールを浴びた熱帯の花のように息を吹き返した。もっとよく見てくれ、腕時計だってパネライだぞ!
 わたしは彼らを長安東路へ引き連れていった。わたしたちのホテルからぶらぶら歩いていくには、ちょうどいい距離だった。
 ひしめく熱炒(ルーチャオ)店(台湾の居酒屋)のネオン看板に、若いふたりは歓声をあげた。いちいちスマートフォンで写真を撮っては、画面を指でひょいひょい動かした。店に収まりきらない香ばしい煙と喧騒が、通りにまであふれて押し合い圧(へ)し合いしている。これぞ台北の夜だ。

 
 

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