ネオンストーリー

 
「洗濯屋三十次郎」
著者:野中ともそ 発行:光文社


 左の袖口と律儀に対になるように、右の袖口にも赤茶の染みが広がる。長門は慌てておしぼりの端をコップの水に浸す。その手を伸ばしたところで「いいよいいよ」と制された。
「でも唐辛子と油が入っていますから、軽く処理をしておけば、あとで落ちやすくなります」
「いいのいいの。これはじゃましない染みだから」
「なんと?」
「長さんと中華街で飯食ったっていう、記念の染みだからさ」
 三十次郎は首をすくめてみせると、最後の一個の餃子を旨そうに咀嚼する。むろん、もう片方の袖についている醤油染みのことなど、はなから気づいてもおらぬようだ。
 前途多難、という言葉が長門の胸に落ち、曖昧な輪郭の染みとなった。
 帰り際、中国語のネオンがにぎやかに光る先刻くぐりぬけた門を目指し歩いた。横を歩く三十次郎は満足げに、肉まんや腸詰めの土産で膨らんだ袋をゆらしている。その袖についた「長門と中華街で飯を食った記念」なる染みも、いまや薄い闇にまぎれている。

 
 

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