サイン屋稼業奮戦記

 Vol.156
「以和共栄」〜支えていただいた皆様に感謝〜
    北海道支部 栄和サインシステム(株) 我孫子 周

我孫子  周さん  弊社は昭和38年2月に、私の父とその兄他数名で札幌にて創業しました。当時の社名は栄和電設で、一般的な電気工事を主業とする会社だったようです。その頃は、高度経済成長期の真っただ中で、繁華街ススキノを中心としたネオンの流行時代にネオン管取付工事を行うようになり、ネオン管加工、看板製作を自社で行うようになってからは看板専業となり、平成元年に現社名に変更しております。
 私が生まれたのは昭和43年、社屋を増築してネオン管製作工場を設置した年です。物心ついた頃には、自宅の隣に看板製作工場が新築され、数名の社員さんが毎日、看板を製作していたことを記憶しております。空き地には大きな看板が無造作に置かれ、薄暗い工場の中には、色々な機械が所狭しと置いてあり、鉄屑やビスや溶接棒、折れたネオン管サポート等が工場周辺に落ちている秘密基地のような場所は、幼い私の恰好の遊び場にもなっておりました。鉄骨を加工する音や、溶接の匂い、塗料の匂いと共に、今でも深く脳裏に焼き付いています。当時、勤めていた社員さんとも顔なじみで、よく声を掛けられていたことを記憶しています。
 後に私が入社した時にも数名の社員さんが現役で活躍されておりましたので、その頃の話をすると懐かしく、そして長く勤めていただいていることに感謝することばかりです。工場周辺の宅地化が進んできた頃に、工業団地に工場が移転。それからは、製作現場を見ることもなくなりました。

 地元の工業大学を卒業し、東京の電機メーカーに就職。3年程勤めた頃に配置転換の話がありました。そのタイミングで当時役員だった従兄に「北海道に戻ってこないか」と声を掛けられ、父に相談したところ、戻ってくる気があるならば、その前に一年間、同業社の所で勉強してくるように勧められ、広島県にある同業社でお世話になりました。営業・現場・製造管理と、看板に関わる仕事の流れを短い間でしたが経験させていただいたことは、今の自分の基礎になっております。当時お世話になった皆様には大変良くしていただき感謝に堪えません。
 その後北海道に戻り、現在の会社に入社しました。入社すると3カ月ほどの工場実習の後、営業部に配属されましたが、1年程経った頃に、総務・経理を担当していた社員が突然退職することとなり、急遽、その後任としての引継ぎをすることになりました。一通りの定例業務をこなすことができる様になってからは、当時の総務部長から、銀行との折衝の仕方、資金繰り、決算書の見方、業務改善に至るまで、会社の血液に例えられる「お金」の流れを徹底的に教えていただきました。また当時は、月に一回来る税理士が経理処理をするまで、月次の利益すら解らない状態でした。これを解決するべく、会計処理ソフトを導入し、リアルタイムに伝票入力を行い、月次管理を行うことにしました。同時に、物件ごとの原価管理を行うために、すべての物件に工事コードを付与し、仕入れ、外注、製作人工を振り分ける簡単なソフトを自分で作り、現在の原価管理システムの基礎を築きました。

 入社して数年後に、父と従兄の共通の知り合いから紹介されて、地元の青年会議所に入会しました。そこには、私と同じような、会社の二代目、三代目、創業者という立場の方が多く居り、様々な刺激をいただいたり、会社経営についての良き相談相手となっていただいたりと、様々な角度から自社を顧みることができたことは、有益な時間だったと思っております。同時に、見返りを求めずに、「まちづくり」について真剣に考える組織の中で、組織力を最大限に引き出すリーダーシップの取り方を学ぶことができました。
 また、事業の目的を徹底的に考え、成果を出していく為の事業計画書の作成の繰り返しが、自分の中に刷り込まれていき、常に根本的な部分を思考する癖と、問題点を抽出し、解決に導いていくスピードを養うことができたと思っております。
 また、多くの仲間との活動を通じて、全国に魅力的な仲間たちとの人脈を築き上げられたことは、今でも最大の財産です。

 平成21年のリーマンショック以降の数年間は、売上げが現在の半分近くまで落ち込んだ苦しい時期でした。取引銀行から事業改善計画書の提出を求められたり、社員への賞与を雀の涙程度しか支給できなかったことは、今でも教訓として心の中に留めております。取引銀行に長期借り入れのリスケをお願いし、社員の協力のもと経費を細部まで徹底的に見直し、営業社員と共に新規顧客開拓に奔走しました。自民党への政権交代の時期から、徐々に景気に改善がみられ、弊社の業績も回復し始めた平成26年4月に、先代の従兄から社長を引き継がせてもらいました。同時に、最後のリストラとして、札幌の本社ビルを売却し、工場のある石狩市に本社を移転しました。これまで勤務先が離れていた営業部と製造部が一つの敷地内で仕事をするようになってからは、お互いにリスペクトし合う雰囲気が醸成され、改めて社員が一丸となった気がしています。平成29年9月には東京営業所を開設し、販路の拡大を進めているところです。

 今年、入社して27年、社長を引き継がせていただいてから10年目になります。創業時から弊社と関わっていただいた皆様に感謝することを忘れずに、社是である「和を以って共に栄える」という精神を基として、販路拡大、業務改善、職場環境改善、事業継承など、まだまだやらなければならない事は盛沢山ですが、常にお客様に選んでいただける会社とするべく、社員一丸となって鋭意努力を続けてまいりますので、読者の皆様には、今後ともご指導ご鞭撻いただけると幸いです。



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