ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 143 
関東甲信越北陸支部
G3デザイン
茂木正有(モテキマサナオ)さん
――お仕事について教えてください。
 群馬を拠点に看板の企画からデザイン・製作・施工まで一貫してやってます。もともと実家が看板屋でして、20歳から39歳までやっていました。そこから独立して8年です。子供の頃からプラモデルや工作は好きでしたし、庭先で仕事をしていた親父の手伝いも楽しかったです。
――印象に残っている看板は?
 時代ごとにいろいろありますが、ネオンのバックボーダーで何百本ものネオン管をつけたのは、大変でしたが達成感がありました。また東北、四国、九州など遠くの現場に行くことも多く、やりがいがあります。他にも寒かったりだとか夜中までかかったりの過酷な時は、逆にやる気が出て楽しくなったりするところがあります。苦労があっても完成して仕上がったのを見れば、疲れもふっとびます。
――タフですね!
 面倒なのはむしろ仕事の内容より、たとえば現場で酔っ払いが絡んできて作業が止められたことがありましたが、そういうアクシデントですね。出先だと何が起こるかわかりません。ある程度は対策できるようになりましたが。
――意外な苦労がありますね。ご趣味は何ですか?
 スノーボードを長くやっています。車で30分行けば軽井沢で滑れます。あと子供がやってるサッカーにつきあったり。W杯では盛り上がって夜中の3時に起きて観戦しました。時々行っていた海外旅行は、アメリカが好きですが、中東も興味があります。コロナの制限がなくなったらまた行きたいですね。
 
 う・ち・の・会・杜 184 
北海道支部
(株)フジ工芸社
小山内隆司
さん
 2009年のNEOS115号以来、13年ぶりにお話をうかがいました。
「フジ工芸社のフジは、創業者の藤林からとったものです。ちなみに自社の建物も藤色なんです」
 藤林氏の先見の明は、まだパソコンが一般的でなかった1990年代なかばに100万円のMacイラストレーターを2台導入。パース的なイメージ図をカラーで出力しお客様に案内できるのが売りでした。
「今では当たり前ですが当時は違いました。なんとなくおまかせになりがちで、出来上がってからイメージが違うなんてことも多かったんです。創業者は他にも東京のディスプレイショーでこれはと思うものがあると購入してきて、見ると1000万だったなんてことも。従業員にも『北海道の看板屋は外に出ていろんなものを見ないとだめだよ』と、飛行機代を出して銀座の看板等を見てくるようにと促してくれたりしました」
 現物や最先端のものを見て感性を養うことを大切にされたそうです。また、看板だけではなく内装工事にも力を入れています。「内装工事もやって看板も提案する」アプローチです。
「ここでもCADをイラストレーターに変換、床のクロスや柄もメーカーから取り込み、仕上がりの予想図をお客様に見てもらいます。これでお客様のイメージから大きくずれたりしません」
 もともと創業者からの信頼も厚かった小山内さんは、2015年に故藤林氏の奥様から社長業も委ねられます。創業者の意思を生かし昔からの協力会社と連携しつつ、新しいフジ工芸社を牽引しています。

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