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栄久庵憲司氏
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1929年、東京生まれ。1957年GKインダストリアルデザイン研究所設立、所長となる。
1973年第8回世界デザイン会議実行委員長。1989年世界デザイン博覧会
総合プロデューサー等を努める。現在GKデザイン機構会長。
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あるある。ネオンは僕にとって人生のエポックだった。僕は、ネオンの設計会社で
アルバイトをしたことがあるんですよ。三田の慶応の前、魚籃坂のあたり。
芸大に入る前だから20歳ぐらいかな、昭和24年。そこの親父が、
僕に売り込み用にネオン看板の絵をかいてくれと、まさにネオンサインのデザイン 。
確かひらがなで『えでんのその』。今でいうプレゼンテーションだね。
デザインをもとにして造ったピンク色のその大きな看板を、設営のために
魚籃坂から新宿二丁目まで一人でごろごろ荷車を引いて持っていった。
そこは赤線なんだ。そこでは様々な文化的ショックが僕を襲った。
それに電飾サインからネオンサインになっていく様は僕にとっては日本の戦後の
風俗の変化だった。その世界じゃネオンは輝度が高すぎて明るすぎる。
女性が魅力的に見えない。色彩がアンバランスでなにかうらぶれた感じがする。
女性がきれいにみえるのはやっぱり提灯のあかりかな。でも今では
ネオンのひかりの質が高くなって見られるようになっている。
─ネオンサインの最初の印象がかなり強烈なんですね。
いや全く、ネオンはそれ自身は面白いし、ショー効果がある。
1930年代のアメリカン風というか、今でも玄関におしゃれなネオンを
つけたら楽しいだろうね。ネオンって電気の前衛と近代化のシンボル、
ポストモダンだね。1956年にアメリカに留学したんだけれど、
日本に帰ってきてからのネオンは経済成長に突入し始めた頃だけに
契機付けのためというか、どの店も満艦飾で独特で非常に印象的だった。
61年に欧州に留学したときはパリは赤の色を禁止していた。
逆にアムステルダムの飾り窓街は真っ赤だった。都市景観を考えての
ことだろうけれど、一律にはいえないね。銀座や新宿は規制しないで、
もうおもいっきりめちゃめちゃに、それがいいんだね。
─今まで手がけてこられたデザインの中ではよく赤が印象的に使われていますね。
国際的なブルネル賞を受賞された成田エクスプレスも
秋田新幹線「こまち」もそうですね。
そう、赤はアジアの色。成田エクスプレスは「迎賓のこころ」を
表しています。成田に降り立った外国のお客様を日の丸の国旗で
お迎えするということをあらわしています。こまちも「迎賓のこころ」を
込めました。白い車体に横一条の赤い帯線をデザインし、秋田が
日本各地の人々や外国からのお客様とつながっているという心を
表現したのです。
─近著でこころとものの世界について書いていらっしゃいますね。
人間同士もエゴイスティックになっている今、いわんやものに対して
便利なものを奴隷的に扱っている。ものは大事にすると、愛着が湧き、
ものが人間に添ってくる。人の思いがものには込められている。
英語ではツールとかデバイスとかギアなんて言い方もするけれど、
日本では「道具」まさに人の道に備わりたるものであって、道具を
そこに置くことによって生活の秩序が生まれる。
私はインダストリアル・デザインの道を専攻し、道具に
日本の伝統を感じ始めてきたとき、日本の伝統に道具の歴史があり、
その命を彩ってかたちにするのがデザインではないだろうかと。
ものに心があるというのは日本のシントイズム(神道イズム)にも通じる。
そんな風に感じたんです。ものは言葉の通じない親友なんだ。
お互いが分かり合えば、公害なんかのパニックが起きない。
それはものからオレ達をもっと理解してくれという警告だ。
最近、仲間と「道具学会」というのを作った。宇宙の中で使う道具から、
耳掻きにいたるまで、はたまた地獄の鬼の使う道具の研究とか
何が出るか分からない、おもしろい学会ですよ。片やメルヘンの
童話作家から、片やサイエンスの極致みたいな先生達が集まって
やいのやいのとやる。言ってみれば日本に昇華した意味での道具時代をつくる。
道具とは道ができてこその道具なのです。それまでは道具といわない。
ほんとうによくこなしきれたもの、人間化したものを道具と言うんです。
そういう点では卓上醤油びんはまさに道具になっているんです。
ネオンはパフォーマンス性が高く人を喜ばせるコミュニケーション媒体だと思う。
ネオンの家庭化というか、もっと人の生活に近づいていい。クリスマスの
かざりなんかに手軽に使えればおもしろいよ。家庭パーティもいい。
会社や工場で使うのも効果的だと思う。電気使用量だって安いし、
プラス面が多い。もっと、もっとネオン文化をアピールして。
そう。ものを司っているのは通産大臣じゃなくて自分なんだよ。
デザイナーはものの世界を専門的に考えている人。ものと人の
関係を再編成するのはデザインの仕事です。ものの終焉にも心がけがいる。
ずっと前からものを供養し祈る「道具寺」というのを考えているんです。
祈りはいいものを生み、いいもので人は救われる。
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