納涼エッセー
 旅のアルコール事情
(株)東京システック 小 野 博 之
 今年の2月、イランに行ってきたが、行く前に「エッ、イラン?大丈夫?」とみんなから心配された。イランといえば最近特にきな臭い事件が頻発しているが、旅行社がこぞって催行しているからにはそんな心配は不要だろう。
 それよりも私の心配は別のことにあった。イランではアルコールは絶対にダメと聞いていた。旅行者の持ち込みも認められないとのこと。この国は歴史的な古都イスファハンやペルセポリス遺跡など見所が沢山あるから本来はもっと早くに行きたい国であったが、そんなアルコール事情が私を躊躇させたのも事実。
 ツアーは12日間の日程だが行きと帰りを差し引けば正味10日間。私のアルコール人生で10日間も禁酒した経験はない。たまにはそんな長期断酒も体にいいのではないかとも考えた。でも、未練もまた断ちがたい。こっそりトランクに忍ばせて部屋で飲む分には問題ないのではと考えた。万一イラン空港の検査で見つかれば没収されても仕方がない。ウーロン茶のペットボトル2本に泡盛を詰めて空港に送り出した。ところが、その後旅行社の添乗担当者から連絡があったので、そのことをうっかりしゃべってしまった。折り返し本社の幹部から電話があり、「絶対やめてください」と言う。「万一見つかったら入国出来ないかも知れません」。「ツアー全体の行程にも支障が出てくるかもしれません」とも言う。そうまで言われれば仕方がない。出発当日、空港から宅急便で家に送り返した。なにも送り返さなくても成田で捨ててしまえば、と思う人もいるかと思うがそこは飲兵衛の悲しさ(卑しさか)。
 飛行機の中なら入国前だから当然OKだろう。でも、搭乗機はイラン航空だから機内サービスは期待できない。機中用として空港でワンカップを買ったが添乗員が「それも止めてください」と言う。なんと、なんと、仕方がないからこれは空港ロビーで消費した。
 テヘラン空港の荷物検査はかくも厳重なのかと思っていたら、何のことはないまったくのノーチェックではないか。持ち込み厳禁は旅行社としての過剰防衛策だったのだ。でも、回教国といえどイランほど厳格な国は珍しい。ほかの国はアルコールを出さないレストランはたまにあっても、飲むこと自体を禁止することはなかった。
 イランでは面白いことにノンアルコールビールは売っている。日本のはまずくて飲めたものではないが、これしかないとあっては仕方がない。昼と夜の食事では必ず一缶ずつ飲んだ。ところが、このビールがとんでもなく甘いのだ。中には缶の表示にミカンや桃の絵をあしらったものさえある。ちゃんとノンアルコールビールと明記してあるものの、これは炭酸入りジュースではなかろうか。
 イラン人は一生アルコールを飲まないのだろうか。日本に1年間ほど来ていたことがあるという現地ガイド氏に日本でも飲まなかったのかと聴いてみたら「そういじめないでくださいよ」という答えが返ってきた。
 10年前、ネオン協会の有志でヨーロッパを視察したときのことだ。そのときは家内も一緒だったが、ハイデルベルクでの夕食がフリーだったので繁華街を物色した。日本レストランとサインが出ていたのでそこに入ったが、実際には中華と取り混ぜのちょっといいかげんな店だった。メニューにはなかったが、日本レストランと看板を出すからには日本酒がおいてあるのではと思い訊いてみた。「ジャパニズ アルコール」と言っても反応がない。「ジャパニズ リカー」と言っても同じ。家内がすかさず「ジャパニズ サケ」と言ったらなんと通じたではないか。何度も海外に行っている私を差し置いて、初体験の家内の注文の方が通ったとあっておおいにプライドを消失させられた。出された日本酒は燗冷ましのような味でいただけなかったが、それでも日本酒の雰囲気だけは味わった。いまや「サケ」は国際語として通用するようだ。
 ついでに、酒のことをアルコールと呼ぶのはジャパニーズ英語で、外国では通じないらしい。 
 平成元年のことだ。私はその年の4月に初めて中国に旅行した。日本に帰ってから1ヵ月後に天安門事件が発生するというきわどいタイミングだった。そのとき宿泊した北京のホテルで夕食時、紙パック入りの日本酒をチビリ、チビリやっていたらウエイターが入れ替わり立ち代り私のテーブルに来て「日本のお酒ですね」という風なことを話す。中にはパックを手にとってじっくり見るのもいるから、これはこの日本酒が飲みたいのだなと思った。私がパックの残りをウエイターに進呈したら大喜びで壁際の戸棚にしまいこんだ。仕事が終わってから仲間で味わったことだろう。中国人にとって日本酒がそんなに垂涎の的なのかとちょっと意外だった。
 でも、考えてみれば一昔前日本ではジョニーウォーカーに異常な関心を示したものだ。ジョニ黒、ジョニ赤と称して洋行帰りの手土産にすれば喜ばれたものだ。いまではイギリスの大衆スコッチということで見向きもされないが。あの時の中国人にとっては日本酒が日本でのジョニーウォーカーのような存在だったのだろう。
 5年ほど前、フィンランドに旅したときのこと、ラウマという小さな町に一泊した。そこには18〜19世紀にかけて造られた歴史ある街並みが残されているのだ。昼間は観光客で賑わうのだろうが、夕食時は人影がない。ひっそりとした通りを歩いていたら中華料理店を一軒みつけた。店内は私以外に客がなくひっそりとしていたがメニューを見たら「菊正宗」と日本酒が明記されているではないか。まさか、こんなところで日本酒と対面するとは思わなかった。これは見つけ物、早速注文したらちゃんと銚子とオチョコがお盆に載せられて出てきた。これは悪くない。と思ったが、チョコ2杯半で銚子は空になった。銚子の大きさからしてもいかにも少なすぎる。もしかして店の中国人マダムが入れ間違えたか、それとも酒瓶の残りがそれだけしかなかったかのどちらかと思った。こんなときに会話が出来ないのはもどかしい。もう一本注文すればその原因が分るではないか。でも、二本目もきっかりチョコ2杯半。それがこの店の定量だったのだ。もっとも1本3ユーロ、日本円で450円程度だが、海外だからこれが値段相応か。これは正真正銘、本物の日本酒だった。
 私は大の日本酒党だが海外で飲む日本酒の味はまた格別だ。以前は空港で紙パック入りを買って持っていったものだが、その後ペットポトルに入れて家から持参することにした。これならツアー客同士テーブルを囲んでも酒と分らない。でも、ツアーによってはレストランに水の持ち込みさえダメと言われることがある。そんなときは部屋で一杯やってからレストランに行く。ごく最近は泡盛に切り替えた。40度ものなら度数が高いだけ運搬効率がいいからだ。
 ワインでひどい目にあったことがある。日広連のツアーでオーストリアの屋外広告国際会議に参加したときのことだ。
 到着日の夜はウイーンの郊外にあるワインケラーでの夕食となった。そちこちの木陰にテーブルが配置され、生のバンドを聞きながらワインを楽しむ。ついつい興にのってワインばかりがぶがぶやっていたのがまずかった。帰りのバスの中で頭がジンジンしてきたのだ。ホテルに帰ってからもう頭が割れるように痛んで眠れない。次の日、痛みは治まったもののワインはもう匂いをかぐのも見るのもダメ。それどころかビールも飲めなくなった。ウオッカなら無色無臭だから旅行中はそれをちびりちびりやる程度にしたが、ワインの飲みすぎだけはもうこりごりだ。
 ワインにはいろいろもってまわった作法があるのも好みに合わない。ベネルックス3国をツアーで回ったときのことだ。成金趣味の夫婦が一組参加していた。飛行機も彼らだけはビジネス、奥さんは宝飾品で着飾っている。食事のときは二人でワインを1本空ける。それが自分たちではグラスに注がず、必ずウエイターに注がせる。奥さんが「みんな黙っているから日本人はバカにされてしまうのよ。こういうときはウエイターに注がせるのがマナーなんだから」と言うから一同鼻白んでしまった。一流レストランならいざ知らず、団体ツアーで行く食事でそれを要求するのが所詮場違いなのだ。
 私はワインはあまり好まないが、世界を回っているとその土地独特の名物ワインがあって結構楽しめる。ポルトガルではポルトでしか作っていないポルトワインが独特の風味で実に美味しかった。最近コーカサス地方のグルジアに行ったら、この国の赤ワインがまた素晴らしかった。小さな製造元に行って、地面に埋められた壺からじかにすくって飲ませてくれたが、これは紀元前から変わらぬ製法なのだろう。日本ではワインと言えばフランスのボルドー産が有名だが、世界には美味しいワインは沢山ある。何といってもその土地土地で味わうのが最高だ。
 日本人は中華レストランでは当たり前のように紹興酒を注文する。でも、中国に行って紹興酒を沢山飲めるかというと大違い。特別注文という雰囲気で値段も安くない。グラス売りがなくて1本単位になるから頼みにくい。紹興酒は中国の国民酒というよりは地酒に近い存在なのではなかろうか。中国の国民酒といえば白酒だろうが、これは度数が高くちょっと手が出ない。食事のときに出される酒といえばどこでもビールに限られる。その点中国の国民酒はいまやビールと思ったほうがよさそうだ。何しろビールの消費量からして中国は過去3年間世界一を誇っているのだ。ビールはどこに行ってもあるから世界で最も飲まれるアルコールということになる。
 でも私にとっての一番はやはり日本酒。ところが、最近家での晩酌では日本酒をやめた。日本酒は美味しすぎるからついつい飲みすぎてしまうのだ。飲みすぎれば眠くなってうたた寝を始める。美味しすぎると言うのも考えようによっては困ったものだ

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