ライオン堂は昭和4年に、現社長の祖父、大久保馨さんが創業。昭和63年に父の光義さんが法人設立し晴敏さんで三代目になります。三代目は最近、国の法人に対する縛りを窮屈に感じ、個人経営に戻すことも考慮しているのですが、まだ踏み出せないでいるとのこと。
業務の内容はサイン工事中心で電気工事も少々。他に FRP造形(ボウリングのピンは得意です)、内装、メンテナンス工事も行っています。バブル期以降「“何でも出来ます”はダメだ。“これならどこにも負けません”でなければ、と教えられたのに、今なお何でも屋で終始しています」と、晴敏さん。
ライオン堂という屋号は、先々代がお世話になった大恩堂さんからの暖簾分けと伝えられており、「洒落っ気があったなと、感心しております。祖父と父に感謝しているのはライオン堂の後に「看板店」とは付けなかった事。『何屋さん?』と聞かれた時に、時代によっていろんな答え方ができる可能性がありますから」。
屋号についてのエピソードを一つ。学生の頃、晴敏さんは、福島県の「ライオン堂の息子で跡取り」だ、というだけで見知らぬ食料品問屋の方から銀座でご馳走に。当時福島県には同名でチェーン展開している食品スーパーがあったとか…。いかにも運気の上がる社名です。
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