バラが咲いたからと言って宴会をするだろうか?
桜は世界中で愛でられているが、その下で宴会をするのは日本人だけだそうだ。花見の歴史は平安よりと言うから桜を愛して1千年、日本人の桜好きは年季が入っている。何がそんなによいのか。
桜は時期が来ると一斉に散る。その桜吹雪の美しさは潔い死を尊ぶ武士の心を打ち、散り際の見事さが愛されたのだそうだ。
子供の頃学校で教わった米国初代大統領ワシントンの桜の木の逸話も、みかんの木じゃあ様にならない。
確かに桜には人の心を掴んで離さない言い知れぬ力があるようだ。ああ、それなのに昔の人は「偽客」と書いて「サクラ」と読ませた。芝居で役者に声を掛けてサッと消える役割から、パッと咲いてパッと散る桜に擬えたのだとか。全く不名誉な扱いである。
サクラにまんまと引っ掛かり、下らぬガラクタを買わされたり、人が皆並ぶのを見ればつい我もと列についてしまったり、付和雷同な我が身の弱点を思い知らされる。
はて、本当に花見は桜でなくてはならないのか。皆がそうするから、そう思わされているだけなのかも知れぬ。試しに、ボケの花で飲んでみるか。
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