今、あらためて思いますと本当に昭和は遠くなったなぁと感慨深いものがあります。ネオンに携わり、はや30数年。付き合っていた彼女のお父さんの手伝いをしているうちに見様見真似ではありましたが、そのうちに仕事を覚え、やがてその彼女とも結婚をし本業となりました。10年ほどして会社を整理することになり、それを機会に独立致しました。
仕事を覚えた頃はとても良い時期だったのでしょうか。今みたいに色んな機械、道具もなく、全て手作業。鉄骨に鋼板を張るのにも1つ1つ穴を開けマイナスビスを手締めしていました。塩ビシートなどまだなくて広い面板もペンキの刷毛塗。足場も丸太組み等々。皆様もご経験があると思います。今と比べれば非効率で時間もとてもかかるものでした。その分工期の短い仕事を受注した時は徹夜が日常茶飯の出来事でした。
ある時などは真冬の夜中に屋上でネオンサイン工事です。防寒具を複数枚着て工事をするのですが吹雪がひどくて背中に雪が積もってまるで雪だるまのようになって顔を見合わせて笑ったものでした。
またある時は三日間の完全徹夜。防寒具を着たままストーブを背にして居眠りしてしまい、気が付けば背中が燃えているではありませんか。まるでカチカチ山を地でやってしまいました。
また何をするのにも梯子です。袖看板を吊り上げるのにも丸太で三つ又を組んで滑車を取付けて人力で引っ張りました。あまりにも重くて通行人に力を借りた事もありました。高所作業車やレッカー車、有難いものです。
仕事場にもコンピュータがどんどん入ってきました。ネオンの原寸原稿を起こすのにもOHPで壁に映し出し修正をしながら原稿を作っていました。パースも色鉛筆や水彩で何時間もかけての手書き。少し色を修正しようとすればまた一からの書き直しでした。見積書を書くのも大変でした。しかし、今はほとんどの方がデジタルで作業されています。
かのようにのんびり仕事をしていてもやっていける時代があったのですね。スローライフが叫ばれている昨今、あの頃がとても懐かしく思われます。
最近ネオンサインが減少してとても寂しく感じているのは私だけでしょうか。政情不安や内乱状態にある地域にネオンはありません。あの暖かな光は単にサインというだけでなく豊かさの反映であり、また平和の象徴です。そんな優しい光が最近LEDにだんだん取って代わろうとしています。
地球温暖化などの問題にあるようにエコロジーの視点でみれば当然の流れかもしれませんが信号機の色や自動車のテールランプは確かに視認性や省エネルギーという視点からは、これからもますます普及するのでしょうけれど、なにか暖かみに欠けるように思えてなりません。
効率的な物は善 非効率な物は悪 ここから一度抜け出すこともいいことかもしれません。サインとしてのネオン、文化としてのネオンまだまだ存在価値や存在理由があります。
みなさん一緒に頑張りましょう。
フレ〜フレ〜 ネオン屋さん ファィトォ!!
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