私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.94
ネオンを嫌いな人はいない。選んでもらえるよう奮闘中
     関東甲信越支部 (有)コーワネオン  佐々木康則

佐々木康則さん  初めまして。埼玉でネオン屋を営んでいる泣Rーワネオンの佐々木康則です。若輩者ではありますが、過去の経験とこれからの思いを書かせて頂きます。
 私が入社した当時、泣Rーワネオンは立ちあがったばかりで、社長が一人で全部をこなしていました。私といえば全く作業に身が入らず、何をやっているのか、いつ帰れるのか、そんな事ばかり考えていました。私が仕事ができなくても、社長の腕の良さで仕事が山のようにきたことを覚えています。
 いつからか社長が目標になり、数えきれないぐらいのネオンを手がけていきました。その中でも記憶に残るのは、ユニバーサルスタジオのネオンです。原稿を確認したところなんと3Dなんです。他に5mのネオン、あちこちでいろんな色をつなげるネオン、まさに開いた口がふさがらないとは、このことです。まざまざとアメリカのレベルの高さを見せつけられました。なんとか納品はできましたけれど…。
 それからご縁がありまして、東京ガラス工芸研究所のネオンアートの講師を務めました。まさか私が先生をやるなんてと思いながら始まっていきました。短期間でネオンを作る、そしてアートする、自分が作るのではなく人に教える、これほど難しい事とは思いませんでした。特にアートに関しては、他の先生方から、よくダメ出しをもらっていたのを覚えています。
 いろいろありましたが、貴重な体験をさせて頂き感謝しています。今でも一応、在籍中です。
 それから、アートつながりで、カレッタ汐留(光のインスタレーション)にて世界のネオンアーティストを呼んでネオンアート展の運営を約5カ月間お手伝いさせて頂きました。その間主催側との打合せ、ネオンの搬入、取り付け、修理と、とても多忙な日々でしたが、この時の色々な人々の交流はとても有意義な時間でした。
 近年では、青年部活動の一環として、ジャパンショップの実行委員に選んでもらい、とても貴重な経験をさせてもらいました。
 今、振り返ると、よくあの短期間で仕上げたなと思うと同時に、ネオンの良さを一般の人に伝える難しさを痛感しました。ただ、私が受付をしている二日間はネオンの嫌いな人はいませんでした。出来れば一回で終わらせず、規模は小さくても続けていきたいですね。
 最近は、いろいろなアイテムが増え続けていく中、ネオンを選んでもらうことが難しくなってきました。まさに今も奮戦記中です。
 現在はネオン管の製作以外に看板の取り付けや簡単な企画をしたり、他の業種と交流を深めたりして毎日、悪戦苦闘中です。これからも日々精進し、皆様のつながりを大事にしながら邁進していきます。



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