ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 99 
中部支部 (有)真栄ネオン
杉山悦志さん
杉山悦志さん 来年でネオン管製作30年の杉山悦志さんにお話をお聞きしました。
――ネオン管曲げ修業は大変でしたか?

 子どもの頃から目にしていましたが、実際に始めたのは大学を出た23歳からです。親父に教えてもらいました。
 手取り足取りという訳ではなかったですが、そんなに厳しくもなかったですね。まず電極をクズ管に付ける練習をしました。それができたら排気の練習。一応できるようになると親父が曲げた管を次から次からと流れ作業で電極付けと排気の毎日でした。バブルの直前でとにかく忙しかった。10年近くその繰り返しで、じっくりと腰を据えて曲げの修業をするという風にはならない。最初の頃は曲げてみても「そんなものじゃ、売り物にならない」と言われながら、親父とは20年くらい一緒に仕事をしました。
――印象深いお仕事は?
 うちは企業広告のネオンが多かったのですが、栄という商業地のメイン交差点の三方向に4つのネオン広告があった時期があり、ぐるっと見渡すと得意な気持ちになりましたね。
――チャレンジなさっていることは?
 チャレンジというか、シンヨーネオン電気の前社長が提唱されていたオリジナルの小さいネオンを作る計画が立消えになり残念ですが…。
 
 う・ち・の・会・杜 121 
東北支部 (有)オックス画房
千田 渉さん

千田 渉さん 『オックス画房』をご紹介するのは、新卒入社の25歳の千田 渉さんです。
 「平成18年の入社です。まだ5年、というか、ようやくひととおりわかったところです」。営業マンとして語っていただきました。
 創業は、1972年1月。75年の移転を経て84年7月に現在の場所に至りました。大きい加工ができる工場も設立、ネオン管も自社で制作します。業務内容はネオンに限らずなんでも。アドバルーンを揚げるといったことは減ってはきましたが、年1回はお祭り需要で扱います。レーザー機を使った、装飾銘板、各種サイン等はきれいな仕上がりです。企画から設計、施工まで、広告代理店ともなっています。
 千田さんの入社動機は、他にあまりない業種だったことから。現在営業担当4人の1人です。
 オックス画房の社名は、雄の牛に由来しゆっくり確実に前進することをめざしています。創業時に社長はイラスト等も受注したいと画房と名付けたとのことです。お客さまのニーズに合わせオペレーション内容は変わっていますが、手技からデジタルまで、デザイン、制作、施工と、土木以外は、小さいものに限らず完成まで手がけます。
 創業40年となるオックス画房は、現在、社員数は15人。社風は、常にお客さまを考え、お客さまの立場になって働くことです。

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