白い空間と光 |
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私の旅行の楽しみの一つに、建築鑑賞がある。 東京で生活していると、世界中の素晴らしい絵画や彫刻作品を展覧会で鑑賞する機会に恵まれるが、建築物はあたり前だが、こちらから出かけないとお目にかかれない。海外は主にヨーロッパの一人旅で、公共交通機関を使って行くことができる範囲のため、都市部に限られるものの、時には建築鑑賞が目的という場合もあるほど、旅行における比重が大きい。建築案内の本やマップ、最近はインターネットで下調べをしておいても、方向音痴な上に英語が不得手なため、目的の建築物にたどりつくのに苦労することがあり、それも楽しい思い出となっている。 昨年の3月、震災の1週間後にヘルシンキ旅行を予定していた。日本中が混乱している中、私の周囲でも、勤務している短大の卒業式中止や新学期に向けての緊急対応などの事態が生じており、また仙台にいる身体の不自由な友人の安否が確認できたのが3日後であったりと、落ち着かない状況だった。いつもの気ままな旅行ではなく、大学の研究の一環として計画しており、いろいろなルートで面会や見学のアポイントメントも取っていたのだが、中止という選択肢もあるのではないかと迷った。が、なるべく平常心を保とうという思いで旅行を遂行したのだが、思い切って出かけて良かったと、心から思える建築空間との出会いがあった。 ユハ・レイヴィスカの設計によるミュールマキ教会は、ヘルシンキから郊外電車で15分、ロウヘラ駅のホームから十字架が見えるほど駅に近く、さすがの私も迷わずにすんだ。 礼拝堂に入った瞬間、文字通り息をのんだ。白く静謐な空間に柔らかな光が満ちている。曇っている日だったので少し暗く感じられていた空間に、高い天井から吊るされているペンダント照明(レイヴィスカ自身のデザイン)が点灯されると、金色の光が無数に浮かんでいるように感じられ、その美しさに声も出ない。祭壇の壁が幾重にも重なっている間から入る自然光も、天窓からの光も優しく、白い壁に微妙な陰影を与えていた。十字架はオフホワイトのテキスタイルに同色で織り込まれていて、周囲の壁の白さの中に控えめに浮かび上がっている。 少しするとパイプオルガンの練習か始まり、しばらく一人でその時間と空間を堪能した。長い冬の終わり、雪がまだ残っている季節ならではの北欧の空気と光、パイプオルガンの音、繊細でかつ研ぎ澄まされた空間。その時間と空間に出合えたことを心から有り難いと思えたのは、今、この瞬間に生きていることはあたり前でないという現実を、目の当たりにしたばかりだったからだろう。 同じくレイヴィスカが設計したヴァリラ図書館を訪ねた日は、雹まじりの強い風に凍えるような日だったが、たどりついたところ、あいにく臨時の休館日だった。木造のこじんまりした外観は、本当にここかしら?と思わせるようなものだったが、日を改めて再訪して、外観の印象と中の空間の明るさ、ダイナミックさのギャップに驚き、諦めずに訪れて良かったと実感した。 ミュールマキ教会は祭壇に射し込む光は正午付近にもっともドラマチックな効果をもたらすということや、彼がミュールマキの20年後に設計したグッド・シェパード教会の存在を、迂闊にもあとから知って少し残念だったが、季節を変えて再びヘルシンキを訪れようと強く思っている。 |