NEONミュージアム

創業者魂と「宣伝70年史」
大橋武さん
大橋武デザイン事務所 代表 大橋 武

宣伝70年史」と「ネオン史」の発行
  本誌春号に続いて、パナソニックが「宣伝70年史」の刊行に際し、掲載された松下幸之助創業者の広告理念に関する語録を中心に、ネオン史及び80年代と90年代から話題になったサインの作品をご紹介します。
  下記のA3サイズ・540頁の分厚い史料(写真@)は、同社が創業70周年を迎えた1988(昭和63)年に70年間の主な広告活動の歩みを、作品を主体にまとめたものです。
 
松下創業者が創業以来、ものづくりを通じてご需要家に正しく製品情報をお伝えする広告観に基づき、掲載された新聞、雑誌、ポスターほか主な屋外、交通広告などが収録されています。 企画・編集は宣伝事業部・(株)電通で発行人は松下正幸取締役宣伝事業部長(当時)です。
  同時に戦後の代表的なネオン広告を選別し、ビデオ(VHS)の「ネオン史」(写真A〜C)を制作しました。当時の作品は実写で、過去の作品は写真にそれぞれ解説をそえ、約40分のテープに編集しています。


松下創業者の広告語録から

道は明日に

  われわれには、この品物をお使いになれば、便利で利益になりますということを消費者にお知らせする義務がある。だからこそ広告をすることが必要になる。(中略)われわれ商人、産業人には“知らせる義務”があるのです。その義務を果たすために宣伝をするわけです。(後略)
「サンデー毎日」1949年2月10日号 松下幸之助談より

良品は自ら声を放たず
  良品は自ら声を放たず、これを求めた人々がひろく社会に伝えます。宣伝の必要のない良品も造りださねばなりません。しかしこのことは、宣伝が不必要だということではありません。その造った良品を、より早く社会にお知らせして便益を提供する意味から、すっきりとあかぬけのした宣伝広告が必要なのであります。
「昭和29年度 松下電器経営方針発表会」(社内幹部社員向け)松下幸之助 所信より

PRの基本
  その人の収入の範囲で生活を豊かにするために、われわれはその世話役となり、あなたがこれをお買いになることによって、あなたの生活がこんなに便利になる。こんなに経済的に潤うようになる。そういうふうに説いていく必要があると思うのであります。(中略)どういうふうに訴えることが、世間に正しく理解して頂けるか、単に正義に立脚すればいいというのでなく、正義の上に何らかの技術がいる、方策がいるのであります。誠意を根底にして、なおかつそういう方策を打ち出さなければ、世間の人々に本当に納得してもらえないと思うのであります。
「昭和33年度 松下電器経営方針発表会」松下幸之助 所信より

早く喜びを与えるために
  今、広告宣伝が適切であれば、その商品の優れた点を早く多くの人に知らすことができる。したがってその商品を使うことによる利益を早く受けることができます。つまり、多くの人に早く喜びを与えるために、宣伝が必要になってくるということが成り立つわけです。そうすると宣伝技術というものが、そこに必要になってくる。その宣伝技術がうまいか、まずいか、によってたいへんな違いがでてきます。 
お茶の水女子大学での松下幸之助講演(1963年)より

「ネオン史」の概要
  ネオン史の冒頭に記載のナショナル星型ネオンは、森永の地球儀ネオン(本誌既報)と共に戦後の一時期、銀座を象徴するサインとして映画の背景にも度々登場しました。同ネオン史には、その星型ネオン(1949年)から六本木のパラボラ型サイン(1989年)まで42点の作品が収録されています。
  そして、ネオン史の系譜を通じて、ローラードラムの点滅方式からコンピュータ制御による作画システムへ、時を経て移り変わるハードやソフト面の技術革新と関連して、サインの未来像を描く何かのヒントになればと思いました。
  これら一連のブランドサインは、製品広告とのメディアミックスによる相乗効果で『♪明るいナショナル』のメロディと共に全国にあまねく企業イメージの向上に一役買いました。

時運と人脈に恵まれて
  一企業内で、無知な他力本願の筆者が思いもかけなかったサインの道ひと筋に30年余も関わり続けた背景には、「ブランド戦略はトップ・マネジメント」という確固たる方針がベースにありました。したがって、望んでも叶えられないような偉大な師から厳しい指導のもとで大所高所よりノウハウを授かり、その結果、チームの不断の努力で活かし、いささかでもサインの成果に結び付いたのではなかろうかと思います。 わけても、先に述べた松下創業者をはじめ、3代のオーナーから常に“ベストのサイン”を求められ、そのコツを真摯に学ぶ一方、クリエイターとして最先端のデザインの基本を竹岡稜一宣伝部長から実践的に学びました。
  同氏は創業者のもとで松下電器の宣伝の基礎を築き上げた功労者で、戦前から戦後の成長期に格調の高い優れた広告作品を発表し、数多の広告賞を松下電器グループにもたらした広告界の大御所です。
  同氏からは社内よりも、独立後の(株)ナショナル宣伝研究所の社長時代にサインの制作で度々アドバイスを受けました。さらに、日本サインデザイン協会(SDA)の初代会長のとき、同氏の推薦によりSDAに入会しました。
  そして、広告界やデザイン界の先達と情報交換や調査研究、他団体及び海外との交流活動を通じて、良き時代に最高の人脈に恵まれ支えられて、クォリティとサムシング・ニューを求めてのわがデザイン人生は、極めて幸運だったと改めて感慨を覚えます。
  最後に、本誌に連載の機会を与えていただいた広報委員会に深甚なる謝意を表します。


4.東京・六本木 Panasonicパラボラ型サイン
 (SDA賞/’89・東京都屋外広告コンクール優秀賞受賞)

5.東京・銀座 Panasonicピクトサイン
 (屋外広告電通賞・SDA優秀賞・東京都屋外広告コンクール最優秀賞受賞)

6.香港・香港島ビクトリア港前 Panasonic大型ネオン


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