私がはじめにこの業界にお世話になりましたのは昭和56年、27歳の時です。それまでは長野県松本市で電気工事の会社に勤務しておりました。電気工事の会社では一般住宅から、工場、マンション、商業ビルなど幅広く手掛けてきました。少し珍しいところでは、当時の国鉄の電車線のトロリー線の張り替えなどもずいぶんしました。
そんな仕事の日々の中で、松本の浅間温泉のアーチのネオンサインの修理を依頼され、当時まったく知識のないところ、先輩やネオン管曲げ職人さんに教えていただきながら工事したのが、今思うと初めてのネオンとの出会いでした。
その後、名古屋の父親の経営するクロードに入社し、ネオンサインの仕事に本格的にかかわることになりました。
当時は、私より少し前に韓国のサイン会社から私と同年の人が1年間の予定で研修に来ており、当時は同期でもあり仲良く共に仕事をしたこともありました。彼も今では父親の後を継いで韓国で立派にサインの会社を経営しており、家族ぐるみの付き合いをさせてもらっております。
入社当初は電気工事との違いで、ずいぶん戸惑いました。特に工事の際に掛ける丸太足場や、修理の際に使うタラップ等の仮設に驚いたものですが、一方で、熟練した鳶職人さんの仕事の手際の良さに感心させられました。
学生時代山岳部にいた私にとって、高いところはあまり怖くないのですが、山と違って下を見ると人だらけの高所での作業はずいぶんと緊張したものです。
電気工事の仕事からこの業界に変わってよかったのは、仕事の手離れの良さです。電気工事の仕事というのは、当時、現場のたち上げの際の工事用の仮設電気工事に始まって、内・外装工事の仕上がった後の照明器具の取り付け、受電と、最初から最後まで、時には配線工事の時でも仮設電気の故障などで、本来の工事を中断して、対応しなければならないなど、ある意味やり甲斐のある仕事ですが、反面非常に手間のかかる、手離れの悪い仕事でした。
それに比べてネオン工事、特に屋上の広告塔の工事等では、他の職種の職人さんとの、取り合いもほとんどなく、マイペースで施工が出来るため工程管理も非常に楽です。
振り返ってみますと、もう30年以上この業界にお世話になっていました。入社当時から、現在までネオンサインの業界はずいぶん様変わりしてまいりました。
行政面ですと、景観条例の見直し等、広告物掲出について、以前よりいろいろな制約も増えました。広告物の保守点検についても、様々な施策が出てくるものと思われます。また水銀に関する取り扱いについても、今後関心をもって見ていかなければいけません。
クライアントからの視点で見ますと、インターネットの普及による屋外広告の費用対効果の見直し、LEDの普及による省エネへの関心、コンプライアンス重視による景観への配慮などが重要視されました。
一方で我々業界も、ネオン工事技術者、ネオン管技工士の認定講習を行い、業界全体の向上に努めました。またネオンアート展などの開催で、一般ユーザーにネオンサインでなければ表現できない魅力をアピールしてきました。
このような業界もまた、同業の仲間の努力にもかかわらず、ネオンの衰退には歯止めがかからないというのが正直な実感です。
ネオンサインという仕事は軌道に乗るまでに、非常に時間と資金のかかる産業です。ネオンの原管を製作するガラスメーカー、ネオントランスのメーカーはそれなりの製造と設備のノウハウが必要です。
そしてネオン管曲げ加工の技術は、人から人への継承によるところが多く簡単に習得できません。さらにネオン管の排気設備にも相当の費用と、曲げ加工と同様熟練の経験と知識が必要です。
要するに、いったんなくなってしまえば、再生するのにかなりの、時間と費用と知識が必要であると思います。今、日本のネオン業界は絶滅の危機に瀕していると言っても言い過ぎではないと思います。
世界に目を向けてみますと、日本ほどネオンサインが減っているようには思えません。おそらく、海外ではネオンサインについてかなり普遍的な価値観があり、大きな伸びは無いものの、変わらぬ需要があるものと想像します。
LEDの発展により、ネオンサインの相対的な需要減は日本と同じでしょうが、“ネオンサインでないと、いけない”という選択が、海外には日本よりもあるように、思います。
LEDのおかげで、ネオンサインとの違いがこれから益々日本でも顕著になってゆく事と思います。そこからが “ネオンサインでないと”の価値観の芽生えではないかと思いますし、私たちが、クライアントに提案してゆかなければいけない事と思います。
翻って、ネオンサインに変わってのサインの光源としてのLEDですが、年々扱い量も増えると同時に、LEDならではの、扱いに留意しなくてはならない点も明らかになってきました。私たちは、ネオンサインを通じて電気を扱うサインのスペシャリストとしてLEDについてもクライアントに満足していただける、知識、技術を提供しなければいけません。
しばらくはLEDに軸足をおいた仕事が続くと思いますが、いつかネオンサインにも日の当たる時が来ることを信じて、その日まで皆さんと一緒にこの技術を頑張って守ってゆきたいと思います。
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