気がつくと私は13番の都電の線路を大久保車庫に向って歩いていた、枕木にけっ躓きながら。線路ぎわの草むらで、こおろぎがやかましいほどにすだいていた。行く手の遥かむこう、もと青線の花園街から歌舞伎町の辺りにかけて、原色のネオンが瞬いて歓楽の在り処を教えていたが、私の帰りゆく先は別方向の角筈一丁目、息子のために“ひとり苦労している”母のもとだった。
翌日、忍から勤め先へ電話があって、小倉が言い過ぎたといってしきりに後悔している、と伝えてきた。ふだんと変わらぬ落ち着いた声だった。これでひとまず亭主とのわだかまりは解けたのだが、夜更けに私を迎え入れるについては、だんだん雲行きが怪しくなっていた。口にこそ出さないが、かれはやはり一家のあるじの体面にこだわっていたのだろう。こうなるように仕向けたのはかれなのに。
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