ネオンストーリー

 
『ネオンとこおろぎ』 3
高橋昌男


 皆で法師温泉に遊んだあの頃からかぞえて、平成十三年(二〇〇一)のきょうの時点でちょうど三十五年になる。その三十五年のあいだに多くの先輩知友と死に別れ、私生活の面でも家庭をもって煩瑣な日常に振り回され、悲喜こもごもの思い出は尽きない。尽きないけれど、いまの私につながる痛切な思い出は、少年期から三十代初めにかけての青春時代に集中している。そしてその年月はどぎつい色のネオンが瞬き、秋ともなれば路地の奥でこおろぎが鳴く、新宿の街裏の暮らしとぴったり重なっているのである。
 私は現在、東京西郊の国分寺市に住んでいる。新しい世紀を十日ほどあとに控えた去年の暮の午後遅く、新宿駅南口のデパートへ腰痛にやさしいという靴を買いがてら、ワイシャツを仕立てに行った。すっかり出不精になっていて南口は二、三年ぶりである。帰りはどこかで腹拵えをしてから、いまも健在な風紋かボタンヌ、もしくはたまに出かける「ブラ」か「風花」あたりで軽く飲むつもりだった。……靴を選ぶのに手間取って、別名「タイムズスクエア」と称するデパートを出るととっぷり日が暮れて、甲州街道をはさんだ向かい側――駅ビルと並ぶ「ルミネ2」の壁面を色とりどりの光の帯が疾走し炸裂して、私の目を奪った。すぐ右手の、まっすぐ行けば新宿通りとぶつかる武蔵野館通りは、イルミネーションと電気看板でびっしり埋めつくされていた。まさに光と色彩の河である。そのとき気がついたことがある。どこにもあの懐かしいネオンサインが見当たらないのだ。なるほどな、と私は思った。ジージー音をたてる、剥き出しのガラス管はおしゃれな時代に合わないのだろう。

 
 

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