青年部コーナー

 

趣味。

  九州支部 (株)カワハラネオン広告 川原 譲


川原 譲さん  私が19歳の頃、ある友達に聞かせてもらっていたジャンルがpunk rockでした。と言っても、セックスピストルズやクラッシュなどではなく、ハイスタンダードという日本人が歌う英語歌詞の曲でした。
 好きで聴いていたわけではなく、友人宅へ泊まりに行った時の、目覚ましとして爆音で朝早くからけたたましく部屋中に鳴り響いていました。「なんやこのウルサイ曲は」と当時思っていたのですが、泊まりに行く度、その楽曲で起こされ、美術関係の専門学校へ通っていました。それがキッカケとなり、その友達に「学校で目標も無くダラダラ過ごすならお金の無駄。辞めちゃえば?」と言われ、親に迷惑を掛けてしまっているとハッとし、その一言で通わせてもらっていた学校を辞める決断をした頃から、だんだんとジャパニーズパンクロックにハマり出し聴くようになり、CDをイロイロ買いあさりました。パンクロックだけ。日本の。ライブに行ったり。
 そのハイスタンダードというバンドは2000年に活動休止になります。ハイスタのライブには行ったことが無く、強く「行きたい!」と思っていましたが叶わず…。
 時は経って2011年3月11日。東日本大震災が起きました。九州では九州新幹線開通に向けて活気あふれているところでの大震災でした。当時その凄まじい自然の猛威を、仕事中、携帯のテレビで見ていました。まじまじと見せつけられ「これ日本よね?」と思うぐらい。被災された方々、同業種の方など募金という形でしか関われない自分。そんな中ハイスタが立ち上がりました!東北でフェスをやると。相当行きたかったですが九州やし。行けず。
 時は流れ2016年4月。熊本にて大震災…。今度は支援活動を行いに現地へ。倒れた看板。ブルーシートを被った家々。潰されて一階が無い建物。地元長崎も揺れましたが、震源地の揺れなど到底想像出来ないほどの被災地を目の当たりにしました。
 私の父も熊本の友人に頼まれ、すぐに母と二人で食料、水、ウェットティッシュなどを大量に積み被災地へ赴いていました。5月末、私が現地で手伝ったことは瓦礫の撤去、被災地へ送られた大量の余った水、食料などの物資の搬出、好意で全国の方々よりいただいた支援物資の処分。。。複雑でした。
 そんな中、ハイスタが九州でフェスやります!と。音楽の力で被災した地域を盛り上げようと再復活!ですが、2回の申し込みをするも人気が有りすぎて抽選結果は…ハズレ…。
 行くことは叶わないですが、いろんな時、音楽いや、好きなパンクロックに助けられたような気がします。仕事が上手くいかず悩んでる時、元気がほしい時。自分の結婚式での挿入曲(^ ^)。皆さんもそういった趣味などあると思いますが、元気、勇気を与えてくれるパンクロックをこれからも愛していきたいと思います。
 看板事業関係なく申し訳ございません。。


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