第2次大戦中、日本の大都市は大部分が爆撃されたが、京都と奈良だけは被害を受けなかった。これは、日本の歴史と伝統を残そうとするアメリカの良識の賜と私はかねがね高く評価していた。
ところが、今年の8月、テレビで「池上彰の教科書に載っていない20世紀」(テレビ東京)という番組を見ていたら、米国は広島とともに京都を原爆投下の第一候補に挙げていたという。米国の上層部は原爆投下の都市として軍事施設があることを条件にしていた。軍は京都市内にあった繊維工場を軍需工場といつわってまで候補に挙げていた。
万一この計画が実現していたなら京都の文化財に対する打撃は計り知れない。日本だけではなく、世界にとっても損失となったことだろう。
軍部は広島の原発に関してもトルーマン大統領の承認はとっていなかったという(このことはNHKでも「決断なき決定」として放送していた)。軍部の独走は日本だけではなかったのだ。
朝鮮戦争のとき、当時総司令官だったマッカーサーは北の攻撃に手を焼き、原爆投下を提案したという。これは大統領に拒否され、マッカーサー解任につながったとのこと。
ベトナム戦争の際、北の古都フエの王宮はことごとく破壊され、いまだに平地となって修復されていない。
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