サイン屋稼業奮戦記

 Vol.126
100年に向けて縁を繋ぐ
    関東甲信越北陸支部 宝来社 山田 功

山田  功さん  まず自己紹介から。現在39歳、兜来社の山田功と申します。現在グループ社である宝来社石川という金沢にある会社の運営を任されております。
 2000年の4月に家業でもあったこの業界に初めて入りました。私の叔父である現、弊社会長の荒井が私の曽祖父の代からサインやディスプレイ、店装を行う会社を運営していた事。また、グループ社の社長をやっていた父が体調を崩した事など、色々な事が重なりました。
 大学在学中は、40歳ぐらいまでは好きな業種で働いて40歳で気が向けばと思っていたので、こんなに早く会社に入るとは思ってもおらず、今でもタイミングとか縁は不思議なものだなと思っています。
 入社する前までは異業種の小売業におりましたので接客や、各店舗を行き来する毎日でした。自分自身、不特定多数のお客様とコミュニケーションを取るのも向いていたと思っていましたし、「お客様は神様」、「毎日スマイル」という業種でした。
 そんな中、先程述べたタイミングで一族経営の宝来社へ入社することになったのですが、まず驚いたのは今までの環境とは180度違い、当時の会社は職人気質。よく言えば働いている従業員が誇りと責任を持っていました。言い変えるならば、ちょっと気を抜くと先輩からは、「なにをやっている!!」と怒鳴り声が飛んでくるといった感じでした。もちろん今は違いますがね。
 私は幼少の頃から会社に遊びに行ったり、当時の社員の方にドライブがてら現場に連れて行ってもらったり(今では考えられないですが)、また、父の仕事を見ていましたので、仕事の大体の内容もわかっていて、多少の免疫をもっていると自分では思っていましたが、実際働いてみるとすごくギャップを感じたのを今でも記憶しています。
 入社して現場研修の時、いっぱい失敗もしました。壁面に取り付けをするネオン管の上に荷物を置いて破損させたり、新築現場でペンキ塗りたての壁に寄りかかり、塗装職人さんに迷惑をかけた挙句、自分の作業着がペンキだらけになったりと、あげれば、100エピソードぐらい出てきそうな…。また、今ではもちろん平気ですが、絶壁のビル屋上看板、大きなポールサインの足場や23mの高所作業車の作業も当時は恐怖も感じたものです。
 入社して数カ月後、貴重な経験をさせていただきました。私が入社した2000年は富山で国体が開催されました。ある日の事急遽当時の上司から呼び出されて、「山田君!!午後から国体の現場事務所に行くぞ」と言われ、いわれるがまま、「何の現場なのだろう??夕方までには会社に戻れるかな?」と訳も分からず上司に付いていきました。そこで、突然上司から衝撃発言が「ここで4、5カ月働いてもらう」と、衝撃の言葉が。 当時国体に関連する看板や表示物製作の仕事を看板系の組合が協同受注をしており、大手代理店が頭になり、その現場事務所に監理業務のスタッフとして送りこまれたのです。前々から決まっていたようなのですが、上司が私に言うのを忘れていたようです。
 現場事務所へは同業者からは常駐3人、夜の定例会議ともなると大手代理店のチームで25名ぐらいの人が常時参加するといった感じでした。もちろん、進行監理の仕事は全く想像つかず、看板の知識もやっと出力とマーキングフィルムの違いがわかった程度(笑)。夜の定例会議も毎日何を言っているのか分からないぐらいでした。ただ本当に助けられたのは、みんなが私の事を「新人の山田君」と言って可愛がってくれ、看板だけではなく多方面にわたって教えてくださった事、人の回し方の重要性、大きなプロジェクトの動かし方など、本当に勉強させていただきました。そのメンバーの8割以上は県外から富山に来ており、よく飲みに連れて行ってもらった事も記憶しています。
 最初、オロオロしていた自分もプロジェクトが終わるころには、成長していて一人前まではいかずとも何とかこなせるようになっていました。国体現場事務所に連れていかれた当時は、なんてことをしてくれたのかと、最初恨んではいましたが、終わった後は本当にいい経験をさせていただいたし、また、今でもその経験がすごく生きていると思っています。
 その国体の現場が終わり新年を迎え、サインディスプレイ事業部の営業への配属が決まりました。サインとディスプレイの仕事を主に受注する部署です。今まで決められた事を図面通り現場を収めることが主体でしたが、今度は官公庁や民間のお客様に提案し、仕事を受注するといった内容に変わりました。
 2001年の景気は下降方向、どんなに努力しても、どんなに足を運んでも、どんなにいろんな提案をしても受注にはなかなか繋がらず、自分自身この仕事に向いてないのではないかと葛藤しました。本当に悩んだ時期でもあります。今では経験も少なく、考えも甘くお客様の立場で物事を考えられていなかった事が原因だったなと思えますが。
 そんな悩んでいた時に、運良く私にとって大仕事のお話が舞い込んできました。地方の看板屋の一営業マンが、大きなプロジェクトを任せていただけるといった話でした。約1年がかりのプロジェクトでしたが、毎日が勉強、そして全国の同士に刺激を受けた1年でした。そしてその縁が、また広がりその後お声がけを頂けるようになった事と、何よりも失いかけた自信を取り戻す事ができ、さらに自分が成長できたと思っています。
 その後はいろいろなご縁を頂きいろいろな案件に携わらせていただきました。いいタイミングそして、人生を変えた、いいご縁を頂いたと思っています。
 現在は7年前より金沢にある弊社グループ会社の運営を任され、毎日、自分が考える理想の「笑顔溢れる会社へ」と、いつも笑顔でいるよう心掛け、若手の社員には様々な機会を平等に提供し、ベテラン社員には積み上げたスキルを次世代に繋げるようにしています。
 今では20代社員の比率も増え、社内も笑顔で溢れそして、元気があり、そのエネルギーをもらうために毎日朝会社に行くのが本当に楽しみです。そんな弊社ですが、今年で創業90周年を迎えます。創業者は私が生まれる前に亡くなったので会ったことはないのですが、創業者イズムは今でも社内に色濃く残っています。
 私が40歳の節目に会社は90年、私が50歳になったときに100周年、古臭い考え方かもしれませんが、創業当時の志を忘れずまた無限に挑戦する気持ちをもち100周年に向けて今後も邁進してまいります。



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