メッセージ

 

 協会の名称変更までを顧みる 

NEOS編集顧問・日本サイン協会相談役 小野博之
 
 当協会が日本サイン協会と名称変更して1年が経過する。まだ慣れるまでにはほど遠く、ついネオン協会と口にしてしまう。でも、あと10年もすればこの協会がかつてネオン協会と称していたことさえ忘れ去られてしまうかもしれない。ちょっと寂しい気もするが、それが時代の推移というものだろう。
 顧みれば今から13年前の2005年末、板野会長の時代に協会CI検討委員会が発足した。会長が提唱した「ネオンを極め、ネオンを拡める」の具体策を練るとともに協会ネーミングの変更についても話し合われた。ネオンサインは衰退の一途をたどっていたが、まだまだ活動次第では盛り返す手段はあるのではないかという思いと、この辺でネオンから脱却を図るべきではないかという思いが錯綜していた。
 ネーミングの変更に関しては故廣邊名誉会長が会長時代に早々と提唱されたものでもあった。委員長は私が仰せつかったが、当時の副会長、専務理事のほか主だった支部の理事6名が加わった。2年間をかけネーミング変更について活発な意見がたたかわされたものの、最終的に決を採ったら現状維持ということになった。ネオンという名称についてはまだ愛着を捨てきれないものがあったようだ。
 そして昨年、横山巖会長が就任してから2年目にして名称変更はあっという間に現実のものとなった。ネオン技術が立たされた社会的推移がそれだけ急激だったということだろう。
 ネオンがジョルジュ・クロードによって発明されたのは1910年のことであった。それから107年、ネオンは屋外広告の華として輝き続けてきた。技術革新のスピードが年々速くなる中、これは考えてみれば珍しいことではなかろうか。1988年、オイルショックの勃発によってネオン産業はもうだめかと言われたが、それは一時的な現象で、それ以降の高度成長に伴ってさらに発展し続けた。
 ネオントランスの製造台数が減少に転じたのは1993年以降である。1989年、昭和天皇の崩御によって平成の時代が到来したが、その直後に株価の急落とバブル景気の終焉が後を追った。社会は低成長時代を迎え、様変わりの様相に転じた。経済発展のシンボルと讃えられたネオンサインが衰退に転じたのは当然のなり行きといえよう。
 ネオンが減少に転じた1993年は奇しくも中村修二氏が青色LEDを発明し、量産化に成功した年でもあった。低電圧で省エネルギー、小型で誰にも扱いが容易なLEDがネオンにとって代わることは誰しも理解できた。しかも、ネオンサインが最も利点を発揮する大型の屋上媒体サインが経済低迷で影を潜めた。それどころか、屋上媒体は都市の美観を損なうものとしてスポンサーが見向きもしない存在となってしまったのだ。かつてパチンコが大衆娯楽の華として栄えたとき、店頭を飾るネオンもサイン産業の大きなウエイトを占めたが、パチンコが再び蘇ることがないように、屋上媒体サインが再び都市の夜空に輝くこともあり得ないだろう。
 もちろん、ネオンの活性化に向けて協会は並々ならぬ対策を打ち出してきた。ネオンの黒化現象防止の研究やネオンアート展の開催などはその例だろう。技術的な面ではトランスのインバータ化とそれに伴う調光技術と華やかな点滅表現が開発された。しかし、それらは技術革新の大きな波にあらがうべきもなかった。
 ピーク時620社あった会員数は今や260社にまで減少した。減少率は42%と半数を超えた。協会がネオンに対するこだわりを捨てて今後の生き残り策を講じることは当然のなり行きと思われる。新しいネーミングによって業界がさらなる発展に向かうことを期待したい。会員各社はもはやネオンに頼ることなく新しい需要を獲得することによって生き残りを果たしている。嬉しいことにこのところ業界での倒産はあまり聞かない。
 私が不思議に思うのは、協会会員の主だった会社が昔ながらのネオンを社名に冠していることだ。ネオン衰退以降で社名を変えた例を私は聞いたことがない。従来の名称を使い続けるのはそれで不都合を感じていないということだろうが、ネオンの名称がまだまだ社会的な認知度が高いということだろう。
 御参考までに、私自身の会社、東京システックは22年前の平成7年に名称変更している。それまでの東京照明は創業者である私の父が昭和30年の創業にあたってつけたもので、ネオンサインのみにこだわらず広く照明サイン全般を商うことを意味した。しかし、その名称は山田照明や山際照明などの照明器具屋と間違われることが多かった。
 名称変更は売上低迷の打開策として販路を広げることを目的とした。初めは社員から新名称を募ったが、どうもピンと来るものが出ない。システックは私自身がつけたものだが、システムとテクニックを合わせた造語である。組織力と技術力を合わせた企業という意味だが、イニシャルのT.Sはそれまでの東京照明と変わらないからマークは変える必要がなかった。新企業名は何を扱う企業なのかわからないが、それも狙いどころだった。今後いろいろの分野への拡張の可能性を含めたものだった。従来の顧客もその名称にすぐ馴染んでくれた。
 ネオンは衰退したものの絶対ゼロにはなりえない技術である。LEDに比べ、いいところがいくつもある。だから、今後の協会の役割はネオン技術をどう温存していくかということだろう。ネオン技術者を育て、見守っていくことが協会の大きな使命といえよう。さらに重要なことは名称変更によって協会のイメージ転換を図ったからには新しい会員の増強を図ることだろう。ネオンを駆逐したLED業界は今後われわれの競合相手ではなく、共闘者である。この業界の企業をいかに取り込んでいくかが課題ではなかろうか。



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