境界を超えてゆくサインデザイン
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最近何か事あるごとに、書類の職業欄に記入する機会が多くなった。 ご職業=デザイン業と書くとデザイナーさんですか?何のデザインですか?えっ?サイン?……ああ、看板ですね!(笑) いえ、看板じゃなくて、「サイン」です。……しばらく沈黙の後、じっと担当者を見つめていると目が泳ぎ始め明らかに困惑した表情で、この領域は理解不能と察して他の話題に軽く流される。面倒くさいからいつもそのままにしているが、振り返れば堂々と「サインデザイナー」と書いたことがない事に気づく。ファッションデザイナーとか、グラフィックデザイナーならほとんどの人がある程度想像つくが、「サインデザイナー」って言われると一般の人はほぼ看板のデザインとしか思わないらしい。確かに看板は間違いじゃないが、人に情報伝達する方法とか、誘導システムとか、サインデザインにはもっと奥の深い様々な要素があり、不特定多数の人が利用できるようにあらゆる方面から検証する仕事でもある。それら全部含めてサインデザイナーの仕事だ!……と心の中で吠えるのだが、いかんせんこの国ではグラフィックデザインの延長仕事と思われているイメージであるのだろう。 確かに私もサインデザインという専門的な教育を受けたことはない。当時はそういう学科もなかったし、大学は美術学部、しかも抽象絵画ゼミという当時現代美術と言われた分野で記号絵画論と格闘していた画学生だった。担当教授である泉茂という抽象画家の先生についてアトリエに遊びに行ったりしているうちに、翁でありながらそのバイタリティあふれる多産な仕事を目の当たりにし、記号を使った表現の面白さに出会う。時折アトリエでホームパーティーのお手伝いをすることがあったが、泉先生の友人でもある画家の元永定正先生が来られたりして、当時の現代美術界の生の話を聞かせていただいた懐かしい思い出がある。お二人に共通していることは、ミロやカンディンスキーのような浮遊感のある、カラフルでコミカル、アイコン的な記号を用いた作風だったことだ。元永先生は美術の教科書に載っているほど有名な画家だが、絵本作家としても幅広く活躍され、その作品は幼児も目を輝かせるほど、無邪気で作為のない魅力あるカタチの面白さを追求されていた。純粋美術とデザインとはなんだ?というのは私たちの学生の間でも常に議論していたけれども、師匠達の作品はそんなことは御構い無しに、軽々とその領域を飛び越えていた。少しの曲線でも、わずかに歪んだ円でも、微妙な色でもそれは意味を持ち、言葉を持つ。具体的に教えてはくれなかったが、アトリエで先生の制作する背中を見て、学生時代に遭遇したこのなんとも言えない感覚が、思えば今の30年後にサインデザインを生業にしているとは当時想像だにしなかった自分の仕事に少なからずとも影響している。自分も画家の道を目指してはいたが、阪神淡路大震災後に家庭も出来てしまったので、元々社会的適応力のない私は遅まきながらデザインでなんとか生計を立てようと、ランドスケープ、インテリア、グラフィック等あらゆる分野の業界を経験した後、ご縁あってサインメーカーの設計デザインという分野で仕事をすることになった。 ちょっと前の時代なら無機的で威圧感さえ感じる建築空間がもてはやされ、サインメーカーに勤めた頃は建築サインはできるだけない方が良い、主張するな、目立つなと、当時私も含めた若手のデザイナーは、心に秘めた思いを言おうものなら抹殺されそうな建築設計者の言うことをひたすら具現化するだけのオペレーターでしかなかったように記憶している。特に大きなプロジェクトになると設計者はオーケストラの指揮者さながら、様々な分野のプレーヤーに時折鋭い目つきで指示を出し、持論と好き嫌いというタクトを振り回す。その中でもサインデザインは設計業務の最後に回され、後付けの寂しい存在となり、大抵現場が引き渡し寸前に設計者が充分な準備もできないまま指示を出し、やっつけ仕事で設置させられた挙句やり直しなどと言う、サインメーカーにとっては阿鼻叫喚地獄のような有様を何度も目撃している。建築空間の仕上げであるサインは誰の目にも留まり、ひいては建築の良し悪しを左右するような化粧を時折、「邪魔な存在」にされがちな風潮であったのが、近年は随所に色彩の仕掛けをつくり、あえて空間に華を添えるような演出を同世代の設計者から積極的に求められているように思う。サイン計画の重要性を建築設計者が理解し、早い段階で煮詰められたサインで構成された素敵な空間づくりを目の当たりにすると心が清々しく感じ、本当にいい時代になったなあと口元が緩む今日この頃である。もはやサイン計画は建築のデザインコンセプトにもなることもあり、商業施設では今後の集客や売上に大きく左右するマストアイテムになりつつある。美術館のような病院やお洒落すぎる学校、きらびやかな駅や役所の公共空間等、フロアコンセプトやグラフィックが話題性を持ち、人が集まる。中にはクライアント担当者も最近は勉強熱心で、ネット画像を持参しながら「あの施設がこうでああで、こんなんで!」と鼻息が荒い。こういった状況もSDA賞等の優れたデザインが簡単に情報として入ってくる今日、クライアントはサイン計画に対して非常にウエルカムであるとともに、時代のサインを学習している。また、利用者の立場からより的確な意見を言われることもある。もはやサインは案内するものだけでなく、ある時は施設の華となり、芳しき香水のごとく気持ちのいい空間に漂っている存在でもある。最近では美術の教科書に優れたサイン計画が掲載されたりして、すでに芸術の域に達しているではないかと考えることもある。 何も施設に設置されているだけがサインではない。衣服から車両、はたまた飛行機の機体等、あらゆる分野でサインな雰囲気を醸し出している。見渡すとこの世はサインで溢れかえっている。あらゆるデザインを考えるにあたり、「伝える」という目的があるものはほぼ全てサインだと言っていいだろう。もはや皆サイン時代の到来じゃなかろうか?とさえ妄想することがある。地域や歴史にメッセージのあるグラフィックもそれだけで存在するべき意味と何かを伝える力を持つ。極論かもしれないが、サインデザインの概念とは全てのデザインの要素を包括しているのでは?と考えることもある。グラフィックデザインやインダストリアルデザイン、建築デザイン、環境デザイン、服飾デザイン、インフォメーションデザイン等、あらゆるカテゴリーは視覚でコンセプトを伝達するという概念を持っている。「伝える」ことは表現することであり、デザインの根本はサインの概念にあると声を大にして言いたい。今までサインって看板だろ?って括られてきた貧しい日本のデザイン業界にはびこる風潮が、他のデザイン分野に比べあまり陽の当たらない存在になっていたのではなかろうか?しかし今や市民権を得たサインデザイナーは大手を振って歩く。建築空間もグラフィックもランドスケープもインダストリアルも時にはファションにも領域を広げてゆける。きっと未来はデザインの概念も変わっているのではないだろうか?生きているかどうかはわからないが。 「デザイン」とはもともとラテン語の「designare(デジナーレ)」という言葉であり、問題解決や設計という意味が込められているが、本来は記号や形象を用いた言語よりも古い伝達方法であったのだろうと想像する。象形文字(もしくは相手に理解できる記号等)で意味を伝える以前には、オスがメスの気を引く為には身振り手振りで表現し、言いたいことも伝達できなければ子孫を残すことができなくなるほど重要な行いだったのであろう。サインと呼ぶべきものは太古の時代から洞窟の壁画や大地に刻まれ今も地球に残っている。それは人類が生き残る為に残した渾身の遺産ではないだろうか。建築設計者やクライアント、他業種のデザイナーもサインに注目する中で、サインデザイナーへの要望や期待はますます大きくなるばかりである。後付けの仕事ではなく、全てのデザインコンセプトにサイン概念の可能性を模索してゆけるいい時代なのだと実感している。えらいたいそうな話になってきたが、古代にもいたサインデザイナーは人類が生き残る為の重要な役割を担ってきたのだから、堂々と、自信を持って宣言しよう。次は職業欄にドヤ顔で書いてやる、と。
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