ネオン屋稼業奮戦記

 Vol.134
社名の由来“共に親しむ”を追い続けて
    関東甲信越北陸支部 (株)キョーシン 今井亮太

今井亮太さん  当社は祖父が昭和33年に創業し、その後叔父、父が代表を務め昨年6月に私が引き継ぎ4代目を務めております。
 私がこの業界に入るきっかけは前述の通り、家業であったことにあります。学生生活を終えてすぐにこの業界に入りましたので他業種での就職歴がありません。但し、学生時代は様々なアルバイトをやりましたね。
 初めてのアルバイトは『としまえん』のプール内の飲食店店員。この時は高校生だったのですがアルバイト禁止の校則を破ってやってました。その後、英検の試験官、着ぐるみ(カモノハシ)、西表島のイベントスタッフ、そして最後のアルバイトが大手小売店資本の渋谷のステーキ屋の調理スタッフでした。このステーキ屋は2年程やりましたが、この時とにかく車が欲しくて週5日のペースでこなしていたら稼ぎすぎてしまいそうで、「このままのペースでいくと103万の壁を超えてしまうのでシフトに入れません」と当時の店長に言ったら、「今お前に辞められると困る」となり、別名のタイムカード(竹ノ内豊という名前。これ本当の話!!)を作り、そのままのペースで仕事をした記憶があります。今の時代ではできないことだと思いますが、時効ということでお許しください。
 その後、各グループ店の代表者が参加して競う、『ステーキの鉄人大会』なるものに渋谷店の代表として参加し、主に歩留まり率(肉の塊を指定のグラムでカットして誤差を競う)で競いましたが、残念ながら優勝することはできませんでした。当時、手が生肉臭かったことは言うまでもありませんが、この2年間のアルバイトは非常に有意義なものでお金を得るだけでなく、自分の作った料理を喜んで食べていただける本来の仕事のあるべき姿勢を学ぶことができました。特に渋谷にあるショップ109のギャル店員に好評でした。
 学生生活の卒業とともにこの業界に入ることになりますが、いきなりキョーシンではなく叔父、父の意向で「まずは外で修業すべき」とのことで、取引先様の紹介でウチノ看板さんにお世話になることになりました。手にするものが肉から鋼材に、包丁からドライバーに大きく変わりました。
 右も左も分からないまま非常に不安でしたが、入社すると不安が消えるくらい忙しい環境で、あたたかい先輩方に丁寧に教わりながら様々な勉強を致しました。ウチノ看板さんは自社であらゆる製作から施工までを一貫してこなしており、私自身、製作から、現場施工まで幅広く経験させていただきました。
 記憶に残ることはたくさんありますが、中でも出張は大変楽しみな仕事であり、あまり関東から外に出る経験がなかった私にとってとても新鮮な経験でした。職人の世界からすると短い期間ですが、お世話になった3年間は今の自分にとって何ものにも代え難い財産であり、今の自分があるのも当時の様々な経験があってこそと思っております。私が退職後も益々ご発展を続けられ、業界でも有数な企業になられ、在籍させていただいたことは大変名誉なことと思っております。
 キョーシン入社後は主に営業としてスタートしましたが、入社前に常に目標を持っていこうと決めておりました。
 一つ目の目標は新しい取引先を開拓すること。
 すでに取り引きしているお客様の仕事をこなしながら、自分で見つけた企業に営業に行きました。そこでは門前払いではなく、まず「見積もりを出してみて」とのこと。上司に教えてもらい自信満々で見積もりを持って行ったところ「今取り引きしているところの方が全然安いよ」で終わり。新規営業の厳しさを実感しました。その後、目標を達成できないままでしたが、運を味方にでき、担当する取引先の業務が増え、徐々に売り上げを伸ばすことができ、自信につなげることができました。そんな中、協力業者様からお客様をご紹介いただき、営業努力に依るものでは無いものの新しい取引先をつかむことができ、目標を達成することができました。
 その後もご紹介をメインに新しいお客様を増やすことができ、現在に至っております。今までに幾度か過酷なプロジェクトがありましたが、一番きつかったのはとあるコンビニATMの名称変更に伴う工事でした。店舗数の多さ、支給される資材の多さ、店舗への工事連絡etc...。予期しなかった業務の多さで睡眠もろくに取れず体重も減り(後にすぐにリバウンドしましたが)途中で利益が出ないことに気づきましたが、投げ出すこともできず精神的に辛い思いをしました。その大変な経験後は、壁にあたっても「あの仕事に比べれば大したことない」と自分を奮い立たせることができるようになりました。
 今現在、そのような経験と失敗を自分の糧として前向きに考えるようにして、お客様からご用命があれば看板以外の業務も引き受けるようにしております。
 元々、この業界は器用な人の集まりです。鉄工、電気、塗装それぞれが独立業種として存在する中、我々は全てをこなすことができます。チャレンジ精神を持ち続けることはとても大切なことです。これは息子にも言い続けています。
 当社は共親ネオン電業社という社名で創業し、今年60周年を迎えました。これもひとえに皆様方のご支援、ご愛顧の賜と心より感謝いたします。
 業務拡大に伴って現社名となっておりますが、社名由来の『共に親しむ』の精神を大切にし、お客様、協力業者様、従業員、誰からも愛される会社を目指したいと思っており、これはいつまでも追い続ける目標です。
 最後に組合及び協会活動についてですが、数年前より参加させていただいており、全国の方たちと意見交換を交わすことができ、大変有意義に過ごしております。同じ時代の同じ業種に進んだ方たちとの交流を考えたときにとても親しみ深い縁を感じます。
 人と人との結びつきを大切にし、業界の発展の為に活動を続けていきたいと思っています。たまに私の双子の弟が内緒で参加しているかも?



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