明治以前まで独立国であった沖縄は琉球王国(正しくは琉球国と言う)と呼ばれ、沖縄他諸島を広く統治しており、明や清、アジア諸国との交易により発展していったとされています。その沖縄にあったとされる城はおおよそ300、その全てが本土の城とは異なり全くの別物、これまで土造りの城が主だったものが、信長や秀吉が天下統一を目指していた時代より100年以上も前に総石垣作りの城を築いていました。
今回の日サ協青年部沖縄大会で私が一番行きたかった城の一つが、一日目に登城した中城城(なかぐすくじょう)です。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)です。沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られており、曲線を描いた石垣は野面積、布積、相方積等の技法が駆使されており精巧なアーチ門などを見ることができ、城壁が左右対称なのも特徴的です。景観が大変素晴らしく、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せます。また、江戸時代末期にはペリー提督一行が調査として訪問し、4枚のスケッチを残しています。2000年には首里城跡などとともに世界遺産に登録されました。(注1)
続いて登城した首里城は琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)です。戦前は正殿などが国宝として存在していましたが、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により現存しておりません。現在ある正殿は平成4年に復元されたものです。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として今帰仁城などとともに世界遺産に登録されましたが、登録は「首里城跡」としてであり、復元された建物や城壁は世界遺産ではありません。(注1)
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中城城跡の曲線を描いた石垣 |
中城城の石垣 左があいかた(亀甲乱れ)積み、右が布積み |
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ペリー提督も中城城跡の石造建築を称賛(観光パンフよリ) |
今帰仁城跡の平郎門から奥へと続く長い石段は桜の見所 |
そしてなんと言っても美しさで言えば、建物は復元されておりませんでしたが、琉球石灰岩で構成された実に見事な石垣、今帰仁城も世界遺産に登録されている県内最大級の城(グスク)です。14世紀に琉球王国三山時代の三山のひとつ・北山王の居城であったので、北山城とも呼ばれています。本土の城とは異なり沖縄のグスク特有の、曲線を描いた美しい石垣の長さは約1.5kmもあり、これは首里城に次ぐ規模です。また、毎年1月末〜2月始めに開花するカンヒザクラの並木があり、沖縄県の桜の名所としても知られています。
そもそも、グスクには「城」という字をあてはめています。そのため、琉球(沖縄)のグスクも本土の城と同じように、城主が住む場所であり、敵から身を守る軍事的な防御施設であると考えてしまいがちです。一日目に訪れた中城城も争乱の時代に城砦として築かれていますし、首里城は琉球を統一したのち、江戸城と同じように統治者の住まい兼政庁となっていますから、その点では本土の城も琉球のグスクも役割や目的はいっしょといえます。ただし、グスクはそれとはまったく違う顔も持ちます。グスク内には「御嶽(うたき)」「遙拝所」と呼ばれる信仰の場所が必ず備わり、現在でもその場所で祈りを捧げる女性を見かけることがあります(沖縄では神に仕えるのは女性とされる)。グスクには遥か昔から、不可欠な存在として御嶽が備わっていました。
中城城には首里遥拝所、久高遥拝所、雨乞いの御嶽、等計8カ所。首里城には天上の神が最初に降り立った場所とされる首里森御嶽、園比屋武御嶽、真玉森御嶽 等計10カ所があり、そして今帰仁城には火の神が祀られている祠や2つの峰からなる山全体が聖域で沖縄最大の御嶽であるクバの御嶽(漢字ではどの様に書くか不明)等がありました。沖縄県内には300以上の御嶽・遙拝所があり、今回訪れた3つの城はいわばパワースポットとも言えます。
ここまででお分かりのように、私はかなりの城マニアです。日本100名城を全て訪れることが私の目標ではありますが、それには全国を駆け回らなければならず、遠い道のりです。しかし幸いにも青年部の全国大会に参加することで、かなりの数をクリアすることができました。これからも機会があれば、仲間を巻き込んでお城巡りを続けたいと思います。
※(注1)2000年12月に開催された第24回世界遺産委員会で、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡(しゅりじょうあと)、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)今帰仁城跡(なきじんじょうあと)の九つの資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。
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