私の街の老舗看板

 

お茶問屋・許斐本家(このみ)

  関東甲信越北陸支部 (株)東京システック 二村 悟

 
 福岡県八女市には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている八女福島の歴史的な町並みが残る。ここには、江戸時代の宝永年間(1704-1711)から続く老舗のお茶問屋・許斐本家がある。
 歴史的な町並みにある建築物は、多くが妻入りの町家形式だが、許斐本家は数少ない平入りの町家である。これ自体も地域にとっては1つのサインになり得るが、19世紀中頃に建てられたと推定される店舗の軒上には、古い木製の看板が載る。話では、明治後期〜大正初期とも言われるが、はっきりとしたことはわかっていない。電話番号は20番。資料によれば、許斐久吉の20番は、大正3年には電話番号が付与されている。私の知る知識では、当時は導入された順であったと聞く。少なくとも昭和初期の古写真には、この看板が写る。木製看板は、戦後特に急速に減少していくが、18世紀前半にはあったとされる伝統的なサインのひとつでもある。許斐本家には、「日除け」というお茶屋特有の設備もあるが、これについては稿を改めることにしよう。
 許斐本家は、多くの農家のお茶を受け入れ、それを精製し、多くの業者がまとめ買いをしに来ていたという。この看板は、入口上で、その人々と、行き交う人々を見つめてきた。当時は、数多くある木製看板の一つにすぎなかったかもしれないが、今はむしろ数少ない老舗のサインとして町を見つめている。


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