青年部コーナー

 

子ども達が教えてくれたこと

  中国支部 (株)オオバクリエイティブ 大庭 剛


 2001年に福岡の会社を退社し、家業である現在の仕事について今年で20年目になります。高校までは山口に居ましたので山口の事は大体分かっているつもりで帰ってきましたが…、帰郷後の3年間は、学生(子ども)で過ごす山口と、社会人で過ごす山口は全く別の街だという事を思い知らされました。人の繋がりや田舎ならではのシキタリ(今思えば自分がただの常識のないワカモノでしたが)など、馴染むのに時間が掛かったのを覚えています。
 山口に戻って、仕事にも街にも慣れてきた9年目に子どもが生まれ、すくすくと成長してくれました。彼は小学校1年生になったのを機に、山口ラグビースクールに入校しました。いや、させました。
 このラグビースクールは、県内でも伝統があり、自分も小学校1年生から6年生と中学生の少しの時間お世話になりました。毎週毎週練習に行きたくないと泣き喚く子どもを無理矢理車に押し込み、無理矢理練習させていました。試合では「タックルが出来ていない!」「プレーでチームに貢献出来ていない!」と怒鳴り散らし、時には手も出ていました。そうなると当たり前ですが子どもはどんどんラグビーが嫌いになっていきます。自分がラグビーを通して伝えたかった「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」そして「身を犠牲にして仲間にボールを繋ぐ、本当の勇気」は伝わることなく辞めてしまいそうになっていきました。
 彼が小学校3年生になる年にスクールのコーチに誘われ、自分も山口ラグビースクールでコーチデビューする事になりました。小学生ラグビーはカテゴリーが低学年、中学年、高学年と3つに分かれており、自分は息子の居ない低学年を教える事になりました。自分は高校でのラグビー経験がなく、中学から飛んで福岡の市民リーグでラグビーを再開し、その後就職を機にまたラグビーを去っていたので、本当に自分が教える側に回っていいのかとても不安なスタートだったのを覚えています。
 自分の息子以外にラグビーを教える事を通じて、自分の大好きなラグビーを子ども達に好きになって貰う為にはどうしたらいいのか。沢山悩み、悩んだ分いい勉強に成りました。
 今となっては息子には大変申し訳ありませんが、怒ったりする事で人は物事を好きになる事はありません。共に楽しみ、共に挑むこと。仲間が居てくれるからこそ競技が成立し、自分の居場所があること。ラグビーはもっともっと多くの事を自分に学ばせてくれました。
 それは仕事にも、青年経済人団体の代表を務めた時も同じでした。
 今、幼稚園から教えてきた子ども達と共にカテゴリーをあがり、中学年のコーチに成りました。いつも試合前に子ども達と共に組む円陣の中で言っている言葉「自分の役割をきちんとやりましょう。徹底的に自分達のラグビーを貫きましょう。それは勝ち負けではなく、この試合で一番大切な事です」。 
 今、コロナショックという今まで経験のない現象が身の回りに起きています。子ども達にいつも言っている言葉は自分にそのまま返ってきています。今、自分の役割をしっかりと遂行し、しっかりと仲間とスクラムを組み、この先の未来にボールを繋げる事が出来るよう頑張って参ります!


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