「コロナ禍」という環境の中で、夏の話を書こうとしている。先般、社内の新聞広告の企画の中に、マスクを付けた少年の顔をメインビジュアルにしたものが出てきた。素朴なイラストが自分好みであったこともあり、とてもいい広告になると直感した。
しかし、しばらくしてすぐにアタマの中に問題が沸き起こる。それは、マスクのあとが日焼けした少年の顔にクッキリと出過ぎていることだ。伝えたいメッセージはすばらしいのだが、これでは少年がかわいそうにも見える。大げさだが、虐待に近いイメージすら持つ人たちも出てくるかもしれないと思った。
我慢という言葉を強いるだけが、今の対策の軸ではないはずだから、この少年の顔にもっと前向きなメッセージを添えなければならないと、スタッフたちに告げた。
そして、それに彼らは充分に応えてくれた。イラストもさらに洗練され、身近な会話の中から、さらりといいコピー案も出てきた。詳細は書けないが、少年の大好きなヒーローたちもマスク(覆面)を付けていたりする。そんなところがストーリーの発端であった。日焼けのあともうっすら≠フイメージに手を加えた。そして、出来上がってきたものは、さわやかなポスターのようなもの、狙いが当たった。この拙文が掲載されるかなり前に、新聞広告は掲載されているはずだが、これから本格的な夏を迎える時季に、久しぶりに悩み抜いた企画だった。
中学3年の時、部活動で骨折し、ギプスでカラダの多くを固められた夏を過ごしたことがある。夏には我慢という言葉は似合わないと、その時からずっと思ってきたことを思い出している。 |