サイン屋稼業奮戦記

 Vol.148
「時代に流されなさい」
    九州支部 (株)堀田商事 堀田幸彦

堀田幸彦さん 弊社は九州地方の東部に位置し、宮崎市と大分市のほぼ中間の国道沿いにあります。延岡市は九州で2番目に広い面積を持つ市で、宮崎県の中でも旭化成の創業地として戦前から栄えてきました。近場では日向市のサーフィン、山側ではロッククライミングや登山愛好家の間では有名な地域です。
 延岡出身の著名人では、オリンピック銅メダルの松田丈志選手、ジャイアンツの田原誠次選手、相撲界では琴恵光などがいます。
 さて、会社を立ち上げた時期は高度成長期真っただ中、同時期、関東では東京タワーが完成した昭和33年頃に、私の祖父、英雄が起業し、その後父、年彦が受け継ぎ今の私へとバトンタッチとなりました。立ち上げ当時の事は詳しくは分かりませんが、昭和50年代は全国的にネオンサイン等の仕事が多く、それなりに従業員も抱えて活気があったと父から聞かされました。それから今日に至るまでネオンからLEDへと時代が移り変わってきました。
 ここ数年でサイン業界も大幅な変革がありました。弊社も以前はネオン管曲げの職人さんがいてネオン工場もありましたが、今からさかのぼること約20年前に閉鎖しました。そして2年前に有能な番頭さんが定年で退職して、今後の不安材料もあり、さらに今年1月後半からのコロナ渦状況で、数ヵ月間は、ご多分に漏れず売り上げ減少となりましたが、それまでに現場で鍛えられた若手社員の奮起で、最近では以前の活気が少しずつですが、回復しつつあります。
 所在地は、九州最大都市の福岡市から車で3時間半程と近くは無いですが、それ故に大分、宮崎、鹿児島等への北部九州同業者からの依頼も多く、最近はメールという便利な打ち合わせ手段もあり、ほとんどが依頼先と直接顔を合わせる事もなく仕事を終わらせる事も可能となりました。
 業務としては、非常に便利なものが増え大変効率の良い職場環境となってきましたが、昨今の温暖化、異常気象が原因で、どんなに万全の対策を講じてもこちらの予想をはるかに上回る自然災害には、大変な苦労を強いられてきました。延岡も、2006年 台風13号の竜巻による甚大な被害を受けました。重軽傷者100名以上、住家被害700棟を超えました。JRの特急列車の横転、弊社の看板も竜巻が真横を通り過ぎた為、一部が破損し外壁や雨戸が飛んでいき、工場には木が突き刺さっておりました。
 幸い、従業員に怪我人は出ませんでしたが、自然災害の恐ろしさを実感する体験となりました。1日でも早く通常通りの業務ができるよう工場に足場を設置して従業員みんなでペンキを塗り、何とか原状回復し、以前のように仕事ができるまでになりました。その後、延岡にも大きなビルが建ち、甚大な被害を受けながらも徐々に街は復興していきました。
 この経験から、補償の大切さ、自然災害への対策、台風と違い突発的に発生する竜巻への警戒、そして、お客様から信頼される看板屋として今後少しでも被害が出ないように点検業務の徹底・細かい現地調査等、基本的な部分から見直して業務を改善していきました。
 また、看板オーナーの方にも看板に対する安全管理の意識を持ってもらえるよう、ホームページやSNSを通じて積極的に呼びかけをしております。
 その際に屋外広告物適正化推進委員会の発行している“看板の安全管理ガイドブック”を活用させていただいています。チェック項目も載っていて、とても分かりやすくまとめられています。お客様にも紹介しやすく、看板の安全管理について理解してもらう機会が増えました。
 自然災害の多い九州の看板屋として、知識と経験、そして横のつながりに支えられて中小企業ながらもみなさまのおかげでここまでやってこられました。
 先代から受け継いだ言葉は「時代に流されなさい」。この言葉を胸に、これからの生活様式に順応しながら、その時代にあったモノ、商品、やり方等、凝り固まった概念を覆しながら、従業員一同協力し合い地元に貢献できるよう日々邁進してまいります。様々な業種の方々が厳しい状況とは思いますが、先が不透明な中、弊社もお客様がいる限り誠意を込めた看板を製作し、社会をより良いものにしていければと思います。今後とも、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。
 最後に、あまり本部の行事等に参加は出来ていませんが、コロナ渦の中、皆様のご健勝をお祈り致します。



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