私の街の老舗看板

 

旅で出会った老舗看板

  関東甲信越北陸支部 (株)シーエス・エイ 岩波智代子

 
 10月も半ば、気持ちのいい秋風に誘われて「go to 小樽」でもと旅に出た。久々の北海道は、コロナなんてどこ吹く風という感じで、北国の澄み切った空気で迎えてくれた。訪ねたのは小樽市の近く「春香」という素敵な名前の町。この町は最寄りの駅が「銭函」といい、札幌出身の方なら海水浴場で有名な懐かしい町である。実は私は生まれも育ちも北海道とは全く関係はないが、なくなった連れ合いが札幌育ちで銭函の話をするときは懐かしそうな目をしていたのでそう思ったのであるが、なんにしても「銭函(ぜにばこ)」という変わった名前が気になっていた。
銭函(明治13年開業)は札幌と小樽を結ぶ函館本線の駅で札幌から30分ほどで石狩湾に出た、ちょうどそのあたりの海岸付近に位置している。内陸を走ってきた列車の目の前に突然広がる石狩湾の青さは絶景であった。
 ご存知のように北海道の地名の大半はアイヌ語が元で日本語の当て字で決まったものが多いのだが、「銭函」これは明らかに和名である。しかもジョージ秋山の漫画、「銭ゲバ」を思い出させるような「ゼニバコ」。なんてわかりやすい名前だと思っていたが、どうしてそんな名前が着いたのか、気になっていた。
 調べてみると、明治から大正時代にかけてニシン漁が最盛期の時代があって、そのニシン漁で当時はどの漁師の家にも銭箱が積まれているほどで、ここら一帯の人々はウハウハと時代を謳歌していたらしい。そしてここの駅名はまさにその時代に名づけられた、つまり歴史的事実の生き証人としての名前なのである。
 そのころ日本海側の各地に建てられた、世に言うニシン御殿は有名であるが、あの御殿は網元の居宅兼漁業施設(番屋)の俗称で、当時の北海道においては、図抜けて豪華で、贅を尽くした木造建築物である。本州から運んだヒノキや木目の美しいケヤキ、タモ材などを使用し、廊下等には生漆を施し、欄間を備えた、まさに御殿というにふさわしいものであった。
 その銭函駅のホームにそのものズバリの「銭函」がおいてあった。形は千両箱のような木造だが四隅が鉄板で補強されていて、まさに銭函。
 じっくりと眺めていると、ふと「なんでこんなものがここにあるのか?そもそも誰が作ったのだろうか?これはいつの時代の看板なのだろうか?」といろいろ気になり始めた。ご存知のように現在では駅名サインは統一されていているので、あまりユニークなものはないのが普通である。


 好奇心を抑えきれずに駅員さんに訪ねてみた。すると「昔ここにいた駅員さんでこういう手作りのものを作るのが好きな人がいて、自分でコツコツ銭函を作って駅の看板にしていたそうです」という。その他のことはあまり知らないとおっしゃるので仕方なく引き下がったが、インターネットでよくよく調べてみると当時(2008年7月)駅に吊るされていた写真が見つかった。よく見ると実にユニークな看板である。
 2008年といえば、平成20年、それほど昔のことではない。つい12年前の最近のことではないか。でもこの現代にこういう遊び心をもった駅員さんがいたということに感動する。サインはその家の、家業の、その町の、もろもろを表すものである。そこを愛していなければ、通り一遍の面白みの無いサイン、看板になりがちであるが、このサインには銭函、そして銭函というものがあった時代へのノスタルジィを感じさせる、まさに老舗看板であった


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