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■ 腕自慢・ワザ自慢 136
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関東甲信越北陸支部 富士ネオン(株)
御子柴賢一郎さん |
御子柴さんは6年前に続き2度目の登場です。-昨年、富士ネオン(株)は60周年を迎えました。
社長に就任して10年は会社を維持していくということで精一杯でしたね。無事に60周年を迎えられました。これからは今までと同じ事をやっていたのではダメだと、1年間ビジネススクールに通いました。得た知識と技術で組織を変えていきたいと計画をしていたのが、コロナで方向修正せざるを得ない状況です。
――通学は時間のやりくりが大変ですね。
この辺りには教室はなくて比較的近いのが東京か名古屋。1年間土・日に通いました。改革計画を練っていたところこのコロナです。
――コロナ禍で大変でしたか?
諏訪は観光地なのでもろに打撃を受けましたね。GWから夏までは仕事が延期になったり、中止になったり。しかしこれも『一つのチャンス!』と、とらえていくしかないかなと、スタッフ達と計画の練り直しをしています。
2カ所にある工場をいずれは新しく新設して一カ所にする。業務を内製化してトータルで自社で出来るようにして環境整備していく。変化を怖れずにチャレンジしていきたいと思います。 |
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■ う・ち・の・会・杜 173 ■
関東甲信越北陸支部 (有)彩光
金澤敏行さん |
金澤敏行さんが(有)彩光を設立したのは平成8年8月。勤めていた看板・内装会社がバブル不況のあおりを受け業績が悪化してきたため、同年5月に退社し、3カ月後には現在専務の大木さんと一緒に設立しました。
前会社では金澤さんは若輩ながら、大手ゼネコンの担当として『横浜博覧会』等大きな現場を仕切っていました。「ゼネコンの監督には随分叱られましたが、建築について一から教えてもらいました。今思うと自分も尖っていたのにありがたいことです」。
30代半ばの独立ではそうそう仕事の依頼はなく、「来るものは拒まず、看板以外に現場事務所の神棚の取り付けからブラインド取り付けまで、こつこつやりました。元々看板屋は何でもできないといけない、その経験が役立ちました」。
最初は、バブル不況の煽りを受けた会社の看板撤去の仕事をいただくことが多く、これで軌道に乗り今に繋がってきているとの事。現在は従業員は4名。「幸いなことに今まで誰も大怪我することなくやってこられました。今後も怪我をせず、ミスをせず、目の前の仕事を丁寧にやっていきたいと思います」と、手堅く堅実な金澤さんです。
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