サイン屋稼業奮戦記

 Vol.157
世の変革と二代目
    九州支部 (株)ニシムラ 西村 剛

西村  剛さん  (株)ニシムラは、1976年2月に父が看板製作会社として創業しました。
 創業当初は自宅兼会社の狭い敷地で看板の製作と取付工事が主でしたが、看板設置をさせて頂いたお客様から週末に行うイベントの会場設営もできないかとの問い合わせに対応し、少しずつテントやテーブル、イスなどを増やすことになりました。今ではテレビ局のスタジオセットやコンサート会場、お祭り会場、展示会、見本市、フルマラソン大会会場、ワクチン大規模接種会場など大小様々な仕事まで手掛けるようになりました。イベント会場設営業は面白い逸話もありますが、今回は割愛させていただきます。
 会社は業務拡大と移転をし、現在の九州自動車道最南端の鹿児島インターに本社を構え、鉄工部とイベント部材をメンテナンス・保管している流通倉庫を隣のインター近くに構えています。
 私は1998年4月に入社しました。サインのいろはから勉強、当時は先輩方に同行し営業手法を眼で盗み、部材に触れ、工事の経験をしながら資格も取るスタイルなのですが、工場で大量生産をするわけでもなく、一つ一つがオーダーメイドの製品なので同じものがなく、製品化するまで設計、試作、承認、本製作、また現場では設置位置確認、基礎の規模、現場ごとに違う工法など多種多様で苦労した記憶があります。

 ひと昔前は、木枠トタン看板や、単車の後ろにペンキを積んで社名を書き文字したり、映画館のタイトルも手書きが当たり前と聞きました。それもまだ半世紀以内の話。最近はアルミ複合板やシート切文字、インクジェット、そしてネオンや蛍光灯がLEDに変わりました。ここまで変わると誰が想像できたでしょうか。
 次の世代はおそらく少子高齢化が進み、街の実店舗も少なくなりインターネットで日用品、洋服、車を買ったり行政手続きを行ったりが主流になり、看板からネット広告に移るのではとも思います。しかしながらサイン屋としてアナログと技術も大切にし、お客様の色をデザインする力、地域に合った設計力を磨きつつ、新しい分野に挑戦していきたいと考えております。

 父から会社を受け継ぎ7年目。社員は大先輩から新人まで合わせて50余名ですが、先輩方の知識と知恵を活かしながら新しい技術を取り入れ、お客様が感動、笑顔になっていただけるよう日々邁進したい次第です。


 



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