サイン屋稼業奮戦記

 Vol.159
看板屋の私
    中国支部 (株)カネミツ工芸 金光俊幸

金光俊幸さん  今年のお盆休み前に、事務所を掃除している時に土間の隅が焼け焦げている部分を久し振りに見ました。この焼け跡は20年前、弊社に泥棒が入った時の焼け跡です。当時私は入社5年程でしたが、会社に到着し事務所に上がろうとしたら、 ホースが2階の事務所まで伸びているのを見つけ、恐る恐る事務所に入ると、金庫がガスバーナーやバールでこじ開けられて、辺り一面グチャグチャでした。すぐに警察に電話して、社員全員指紋を取られ、 事情聴取をされたのですが、結局犯人は見つからずじまいでした。大した被害が無かったのは幸いでしたが、その後一人で残業をしている時、犯人が近くにいるのではないかと、ビクビクしながら仕事をしたのを、焼け跡を見て懐かしく思い出しました。
 弊社は広島県広島市に位置し、近くには世界遺産の原爆ドーム、安芸の宮島など観光客の多い都市にあります。多くの著名人や政治家も輩出している県であり、著名人で言うと、矢沢永吉、 西城秀樹、奥田民生等、政治家で言うと、池田勇人元総理大臣、宮澤喜一元総理大臣、岸田文雄総理大臣も輩出しています。
 弊社は、私の父、重幸が1980年に起業し今年で創業42年になります。私が学生の頃は、アルバイトとして錆止めを塗ったり、職人さんの手伝いをしてきたので、この会社をいずれ継ぐのだろうと自然に思っていました。私が入社したのはバブル崩壊後の1996年。今では入社して25年になります。当時はバブル崩壊から少しずつ景気が戻りつつある時期でした。まだ、パチンコブームも続き、仕事も多く、夜遅くまで残業が続き休みもあまりなく大変でしたが、ある意味良い時代だったのかもしれません。
 先輩社員にバブル全盛の頃の話を聞いた事があるのですが、1年間で盆と正月以外、3日しか休みがなかったとの事です。今となっては、裁判沙汰になるのは間違いないです。
 当時は、インクジェット出力機、LED、アルミ複合板、 アルミフレームも無い時代で、文字は書き職人、 ネオンも職人が曲げ、看板は全てスチール組の様な時代でした。
 制作面で現在の状況を見ると、ここまで変化の多い業種はあまりないのではないかと思う次第です。制作面だけでなく、近年ではインターネットやスマートフォンにより働き方も変わってきたように思います。ただ、人と話さずメールやLINEだけだと、多少侘しくなる事もあり、メールをするのではなく、わざと電話したり、お客様に会って打ち合わせする事もあります。
 色々環境は変わっておりますが、看板屋を営んでいて一番うれしいのは、やはりお客様に施工後喜んで頂けることだと思います。
 先日もある人の紹介で古民家風のカフェの看板依頼を受けたのですが、コロナ禍という事もあり、 お客様にお会いする事もなく、お顔も分らないままメールや電話で工事を終えたのですが、お客様から看板の出来栄えに、喜びと感謝の文言がメールにて送られてきました。私もうれしかったので、工事が終わった後もそのメールを何度か読み返したほどです。看板屋冥利に尽きます。
 近年、老朽化した看板の落下が多く取りざたされています。テレビではあまり報道されていないのですが、Twitterで検索すると大小かなりの看板が落下しています。屋外広告物の申請を出している看板は、安全点検をするのが義務になっているのでまだ良いのですが、大昔の看板は申請を出してない事が非常に多く、危険に思われます。
 以前も、繁華街の屋上広告塔の意匠変更依頼があり現場調査すると、鉄骨の腐食がひどく、お客様に写真を送り説明をしたのですが、なかなか理解してもらえず、一緒に屋上広告塔に足を運んで頂く事になりました。お客様が状況を一目見て、意匠変更から大至急全て撤去に変更になりました。もし、この看板が落下したら繁華街というのもあり、 大惨事になっていたように思います。
 7年前、創業者である父が他界し、私が44歳 の時に社長に就任いたしました。あまりにも急な事だったので、銀行に対する補償や、従業員の賃金、支払い、税金等、会社の何から何まで、私の一存に掛かってくるようになり、社長という職業の大変さを肌身を持って感じたのを覚えています。社員や多くの方のお力添えもあり、社長業を続けていくことが出来て、感謝の気持ちでいっぱいです。
 末尾になりますが、新型コロナウィルスが猛威を振るう中、治療や予防にご尽力されている医療従事者の皆様や社会機能を維持するために最前線で働いておられる皆様はもとより、自らも大変な中でも協会の維持発展に尽力されている皆様に、心よりの敬意と感謝を申し上げ、結びとさせて頂きます。



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