趣味は何ですか?と人に聞かれるときに、返答に困ってしまう方は意外と多くいるのではないでしょうか。
それは趣味というものはある程度の時間的な余裕とそれなりの機材を揃える資金力、そして何よりもその物事に対する情熱と身体的な能力など、これらのような趣味を趣味とするだけの「資格」のようなものを有しているか否かを気にしてしまう点にあると思います。
今回私が紹介する趣味というものは、前述の「資格」というものとは極めて離れた場所に位置するものです。始めようと思えばいつでも、どこでも、だれでも始めることが出来るもので、個人的には究極の趣味といえるのではないかと思っています。
その趣味は「読書」です。本を読むというのはイメージ的に少々堅苦しいものがあるかもしれませんが、実はとてもライトで、手が出しやすい、そして個人的に探究を持って行える趣味です。今回は私なりの読書の良さが少しでも伝わるように、紹介したいと思います。
読書に絶対的に必要なものはひとつだけです。それは好奇心です。はじめて小説を読んだのは10歳の時でした。9歳年上の兄がどこからか買ってきた短編小説を部屋に無造作に置いてあるのを見つけました。国を問わず、兄弟間に存在する暗黙の了解「兄の部屋に無断で立ち入ってはいけない」という決まりをいつも通り破り、兄が出先から帰ってくるまでひたすらにその短編小説を読みました。
当時の心情としては「立ち入り禁止の兄の部屋にある得体の知れない本」を読んでみたいという好奇心を満たしたかっただけでしたが、あれから現在に至るまで、その好奇心は尽きることなく、新しい本を手に取るたびに、自分を動かし続けています。そもそも好奇心が無ければ、本を手に取ったりはしないものです。定食屋で自分が食べたくないものをわざわざ注文する人がいないように、それは当たり前だと思います。
読書というのは、限りなく自由で、限りなく個人的なものです。大学の講義なんかでは「〜〜先生の作品を系統的に読んでうんたらかんたら…分析をしてなんたらかんたら…」とよく言われますが、それらはまるっきり無視していいです。読書に格式などあってないようなものですから。そもそも誰がどんな本を読んでいるかなんて、誰もあまり気にしません。好きな異性がいる場合の話のネタとしては別ですが。漫画でも(漫画は立派な書物です)、小説でも、雑誌でも、とりあえず好きな本(好きになれそうな本)をただ適当に買ってみて、とりあえず手の届く場所に置いてみる事が肝心です。古本屋でもコンビニでも書店でも(意外と本はどこにでも置いてあるものです)。もっと言ってしまえば道端で拾ってもいいかもしれません(ドイツでよく捨ててある本を読み漁っていました)。
どこで読むかも自由です。何年経っても慣れない通勤電車の中、つかの間の昼休みに車の中でくつろいでいるときなど、パーソナルな空間とちょっとした時間に、あとは手元に文字が書いてある媒体があればもう趣味の時間を始めることが出来ます。
読み方も自由です。基本的に本というものはどこから読んでもいいものだと思っています。じっくりと一ページずつ時間をかけて読み込む方もいらっしゃれば、最初はさっと流し読みをして、後々興味深い箇所を繰り返し読む方、ある人は先に結末から読む方もいらっしゃいます。本というのは(何度も言いますが)、限りなく自由なものなのです。決まったルールや手順に従って読まなくても良いのです。その本をどのように、どの順番で読むかによって、誰かが損をしたり、あるいは得をしたりすることは全くありません。自分なりの読み方と消化の仕方を見つけることがとても大事だと思います。
時間も、場所も、方法も、手順も、深さも、浅さも、すべてが自分次第、あるいは自由自在で、それでいて他人にとやかく言われることがない趣味。それが「本を読む」ということの素晴らしい部分、真骨頂だと思います。特別な技術も、学歴も、お金も必要ない。好奇心の一つさえ持っていれば、この瞬間にも始められる趣味。これってちょっとすごいことじゃないかなと常々思っています。
もしなにか趣味をはじめたいと思っている方がいらっしゃるのであれば、ぜひ読書をおすすめしたいと思います。きっといいもので、末永く付き合える趣味になると自信をもって、お伝えいたします。きっと、この文章に目を通していただいたということは、もうすでに読書が趣味になっていると言っても過言ではないのかもしれません。稚拙な文章をご拝読頂き、誠に感謝致します。
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