初めてラスベガスを訪れたのは1985年の春。それから数えて14年。このゴールデンウィークの全ネのツアーで再びこの街を訪れた。
前回はたった一泊の短い滞在だったので、圧倒的な光の洪水の中で、ただただ呆然としていた記憶しかない。その強烈な光の思い出の街、ラスベガスがこの14年間の間にどのように変貌したのか、再会の期待に胸をどきどきさせながらマッカラン国際空港に降り立った。
空港の案内サインは意外に昔のままであった。チャコールグレーのベースにきれいな薄紫のストライプと白い文字。当時はこの斬新な色使いにさすがと思ったものだったが、今もなお古さを感じさせずに新鮮であった。
ところがバスに乗り込んでラスベガスの市街地に入ると、街が一昔前より格段に巨大化しているのを感じた。
周知のことだが、ラスベガスは1855年にモルモン教徒の入植によって街ができ、1930年代のフーバーダム建設の拠点となり、31年の大不況期、経済復興政策の一環としてネバダ州がギャンブルを公認するに至って、今日のギャンブル公認都市、観光都市として発展してきている。
そのラスベガスの街作りのコンセプトともいうべきは、1946年にオープンしたカジノホテル、フラミンゴ・ヒルトンである。このホテルは、マフィアの一員で乱暴冷酷、バグジー(=虫けら)というあだ名で嫌われ、怖れられていたベンジャミン・シーゲルという男によって作られたのである。
当時600万ドルものマフィアの資金を投じて完成したこのカジノホテルは、当初全くの不人気で、シーゲルはその責任を問われて血の制裁を受け処刑されてしまった。しかし皮肉なことにこの事件をきっかけにフラミンゴヒルトンは全米にその名が響きわたり、このホテルを一目見ようと各地から客が集まるようになった。
もちろん今はそのマフィアの影はなくなったものの、賭博の歓楽街としてのコンセプトはその後も半世紀近く変わっていなかった。
ところが、そのラスベガスが変わろうとしている。今までのギャンブル一辺倒の街からファミリーのためのレジャーパークとして変化しつつあるというのだ。
ギャンブルとファミリー、まるで矛盾する街作りのコンセプトがどのような形で具現化されているのか興味しんしんで歩いてみた。
ストリップ大通りを中心に林立するテーマホテル群は夜ともなると華やかな照明、ネオンで飾られる。それだけではなくそれぞれが徹底したエンターテイメントショーを繰り広げるのである。しかも、ホテルの前庭で行われるこれらのショーはまったく無料なのだ。火山のショー、宝島のショー、噴水のショー、火を吹くドラゴン、どれをとってみても、それなりの経費をかけていて、大人でも十分に楽しめるレベルなのだ。
もちろん、ホテルのシアターで行われる有料のアトラクションショーたるや、世界中どこに持っていっても一流のものばかり。
そういえばエロ、グロ、バイオレンスなどは露骨に目につかなかった気がする。街を歩いていると、男性に対しては怪しげなチラシを配っていた人もいたけれど、日本の電話ボックスのようにべたべたと子供でもその手の情報が手に入れられるチラシは貼られていなかった。
ホテルのカジノへの21歳未満の青少年の立ち入りも許されないという。ロビーから客室へはカジノを通らないで行ける子供用の通路もあると聞いたが、それらしいものを見つけることはできなかった。
そんなラスベガスでおもしろい話を聞いた。この街の旧市街の一角フリーモント・ストリートが、一頃客足が遠のき地盤沈下した時代があったというのである。
「輝く峡谷」と異名を取ったこの通りも、ストリップ大通りのテーマホテルが続々と登場した80年代にはすっかり寂れてしまったらしい。
私が初めてラスベガスに行って呆然とした光の渦は、どうやらこのストリートの寂れ始めたころだったらしい。
ところが再び客を呼び戻そうと、95年にこの通りのカジノが共同出資して85億円をかけて作ったのがフリーモント・ストリート・エクスペリエンスである。
フリーモント通りに高さ27m、長さ450mのアーチ型の屋根をかけ、そのアーケードの天井全体を使って光のショーを繰り広げる。まさに口をあんぐり開けて見惚れてしまう一大ショーであった。たった5分程の間、210万個の電球が乱舞して、コンピュータ制御による「宇宙空間の旅、オデッセイ」、「ビバ・ラスベガス」、「カントリー・ウェスタン・ナイト」の3本の映像を見せてくれる。
ちなみに、使われているコンピュータの総メモリは10万メガバイト。普通のパソコンの250台分に相当するという圧倒的なスケールである。
この快挙によって地盤沈下していた旧市街地はすっかり息を吹き返し、再びラスベガスの主役の座に返り咲いたのである。
完璧なマーケティングと実行力。このことがラスベガスほど徹底して行われた街があったろうか。我が国の地方都市でも郊外型のショッピングセンターに押されて旧市街地が寂れてしまったという話はよく聞くが、このラスベガスのケースは参考にならないだろうか。そのことに、他ならぬネオンが役に立っているということが愉快に思えたラスベガスとの再会であった。