Vol.57
 腕自慢ワザ自慢 
ネオン管製造
関西支部  西井昭 さん
カンサイネオンサイン電気(株)
西井昭 さん

「15歳で入社した時は住み込みで、最初は運搬などの仕事から始め、朝の6時から夜中12時まで働いた事もありました」と、西井さん。

 その後、ネオン場に入って管曲げを6年ほど担当、神戸の造船所やデパートのネオンも手がけられましたが、20代半ばでまた現場に一時配転になり、管曲げに戻ったのが30歳の時でした。以来、管曲げ一筋。
「現場の取り付けに関わった経験は、ネオンの切れ目、サポーターや配線への目配りに活かせているので、長い目で見て良かったと思います」
「ネオンなら何でも腕に自信がありますが、小さいもの、ミニネオンなどは得意ですね。むずかしい字だと2、30分かけたりもしますが、集中して、あとは感性、センスが物を言うと思います。最近のインバータートランス使用のネオン管は気を使って作ります」

 地震の年、大変だったのは工場がぐちゃぐちゃになっている中で、明石の浄水場の「明石」と大きな字の制作が印象深いそうです。

 今は不況ですが、少し上向いてきたのを肌で感じつつ、「神戸の街を見渡せば、ポートタワー、オリエンタルホテル、そごう・・・と、自分の作ったネオンが必ず目に入る。三宮の駅前に降りたら、あちらこちらの店に見覚えのあるネオンが灯っているんです」と西井さんは朗かに語って下さいました。

 
 う・ち・の・会・杜 
中部支部
(株)武藤電気   武藤清春 さん
武藤清春さん

 武藤電気は武藤清春さんが電気工事業者として加入したのが成り立ちです。武藤さんが叔父さんの経営する坪井電気商会から独立、中部電力協会及び、愛知県電気工事組合に加入したのが32年前、武藤さんが20歳の時です。当時、中部電力管内では最年少会員でした。

 その後、名古屋東京ネオンの林社長との出会いがきっかけで、ネオンの仕事にも参入。「その頃のネオン業界は活気にみなぎり、日曜、祭日も無いほどでしたね」

 オイルショック時にはネオンの受注が激減。わずかに好況だった建て売り住宅の電気工事で時を凌ぎ、バブル期の最中には、また夜遅くまで仕事に明け暮れるといった日々が続きます。「移り変わりの激しい時を経てきたので、暇な時こそ技術を磨き、次へのステップに蓄えようと」今までも低電圧ネオントランスへの対応、研究やウインドウネオンの開発など色々チャレンジされてきました。

 昭和63年にネオン管曲げの制作工場を造り、自社で制作から取り付けまで全て対応。平成2年、(株)武藤電気に社名変更。

 社風はアットホーム、社員6名「速く、安く、良い仕事」をモットーに、高いプロ意識を持ってガンバッテいます。

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