特別報告 ウラジオストク屋外広告業開業セミナー

ネオンサインを日ロ親善の掛け橋に
セミナー開催の経緯と概要
事務局長 加藤保弥
 

 OECD(経済協力開発機構)の3月の発表によれば、99年ロシアのGDP成長率は、経済危機と騒がれた98年のマイナス5%から一転してプラス3%を達成した模様である。司馬遼太郎が「巨大な隣国」として注目してやまなかったロシア―日本政府はその隣国ロシアとわが国との友好関係を促進する一助として、1993年から同国中小企業育成支援事業を推進してきた。 

 今回、この事業の実施機関である社団法人ロシア東欧貿易会が行うウラジオストクでの中小企業支援研修に当協会が協力することとなり、講師に選ばれた九州支部・東亜ネオン産業(株)新濱聰二郎社長、関東甲信越支部・カトウ・サイン工業(株)加藤紘一社長に随行して2月20日(日)から27日(日)まで同地に出張したので、概要を報告する。

●ROTOBOとは


 ロシア極東工科大学にて: 右から、アンドレイ氏(通訳)、 加藤(紘)社長、新濱社長、 筆者、村松氏(通訳)


今回参加を呼びかけてきた社団法人ロシア東欧貿易会(略称ROTOBO)は、1967年日ソ貿易拡大と経済・技術交流促進を目的に経済界の代表者20氏が発起人となり設立、1970年通産大臣の認可を得た公益法人である。ソ連崩壊に伴い名称を変更、現在はロシア等旧ソ連諸国、中東欧諸国・モンゴルとの通商振興を目的としている。会長は、日本興業銀行会長黒澤洋氏の逝去で現在石川島播磨重工業特別顧問御子柴隆夫氏が代行している。

 関係諸国の最新情報を「調査月報」「四半期報」「経済速報」「調査報告書」などで提供するほか、講演会、シンポジウム等の会合開催、貿易促進使節団、技術視察団や今
回のような研修セミナーなどを実施している。付属機関として「ロシア東欧経済研究所」がある。また、中東欧諸国、モンゴル、中央アジア諸国、アゼルバイジャンなどとの二国間経済委員会の事務局を担当している。

●ロシアの中小事業支援事業
 ロシア経済・産業の構造改革には、活力ある中小企業の育成と地域経済活性化が不可欠との観点から、1993年日本政府はウラジオストク市とモスクワ市に経営、食品加工、木材加工、金属加工、高度技術加工、水産加工の各中小企業研修センターを創設し、研修用資機材を設置した。それ以降同センターの機能向上と指導員能力向上のため日本人専門家の派遣による現地実施指導とロシア人指導員の日本における研修を継続実施してきた。このスキームは1997年11月クラスノヤルスクでの「橋本・エリツィン合意」に引き継がれ今日に至っている。1999年度は、本誌TOPICS欄記載の10分野においてセミナーが開催された。特に今回は、従来の加工製造分野に加えてはじめて流通分野から「屋外広告物・電飾看板」が取り上げられた。この間のロシア市場経済の進歩が反映されたものと考えられ興味深い。

●セミナーの構成
 ROTOBOから当協会に通知されたセミナーのテーマは「屋外広告物・電飾看板製造(設計・施工)業開業支援セミナー」である。

 決算時期を控えてご多忙の会社経営者に、8日間も社業を留守にし、しかも厳冬のウラジオストクに出かけていただくのは、大変なことであったが、会長以下協会幹部のご努力により、幸い50年の業界経験を持ち、弱冠26才で会社を立ち上げられた起業家の典型とも言うべき新濱社長と、ロシアにもっとも近い新潟を本拠とされ既に沿海州ハバロフスク空港への納入実績をお持ちの加藤社長にご出馬頂けることとなった。

 セミナーの内容は、聴講者が起業家、研究者、学生、政府関係者など幅広い分野にわたることが予想されたため、まず、新濱社長に経営全般、設計・技術をお話し願い、次に加藤社長にネオンサインの知識と施工を中心に詳述頂くことで講義の中心部分とし、筆者が前座と締めを担当することとなった。

 具体的なスケジュールは次の通りであった。


開講式

合同開講式があったプーシキン劇場

2月21日(月)
 午前 合同開講式 (ロシア極東工科大学プーシキン劇場)
 午後(1) 屋外広告の特質と将来展望 (加藤保)
2月22日(火)
  午前(2). 屋外広告業・電飾看板製造業の経営 (新濱)
  午後(3). 屋外広告・電飾看板の設計 (新濱)
2月23日(水)
  午前(4)ネオンサインの知識 (加藤紘)
  午後(5)ネオンサインの施工(加藤紘)
2月24日(木)
  午前(6)(社)全日本ネオン協会の活動状況  (加藤保)
  午後 企業巡回指導 ― システマアート社本社並びに工場
2月25日(金)
  午前 セミナーを顧みて―質疑応答その他
 午後 合同閉講式  (ロシア極東工科大学プーシキン劇場)

●セミナーの雰囲気など
セミナー会場はいずれもロシア極東工科大学中小企業高度技術加工研修センターの一室で行われた。ウラジオストク名所のケーブルカー終点駅の前にある同センターは、古い歴史を刻み込んだロシア極東工科大学の構内にある。われわれが使用する2階の教室は常にロックされているので、鍵を持つセンター長のズメウ教授がドアを空けてくれるまで、しばし廊下で待機する仕儀になる。もっとも、廊下には軍服姿も含む歴代教授の厳しい写真が飾られており、これらをつぶさに拝見していると飽きることがない。

 聴講者は定員20名に対し、多いときで25〜6名、少ないときで15〜6名といったところ。いつも前のほうに陣取っているのは、後でわかったことだがやはり実業に携わっている人たちが多かった。全員が熱心にノートを取り、配布資料も大切に持ち帰るので、話をしていても大いに張り合いがある。


セミナー風景

 

 通訳は、日本から同行している村松さんとロシア人のアンドレイさん。村松さんは上智大学ロシア語科卒業後通訳一筋のプロ、一方アンドレイさんは早稲田大学留学中に三越配送センターのアルバイトをしながら日本語を実地に勉強したという長身の美男子である。私たちのOHPや配布資料もこの二人の手で見事にロシア語訳されており、3人とも大船に乗った気分だ。

 筆者の概論に続いて、新濱社長の経験からにじみ出る経営論、更に福岡から遠路持参された数々の機材を並べ設計から実際のネオン工事に論が及ぶと、活発な質問が出てくる(別掲新濱社長寄稿参照)。

 加藤社長からは、協会作成のネオン工事ビデオと新潟から苦労して運んでこられたネオン管見本を駆使してのお話しで、セミナーは大いに盛り上がった。

 最終日に新濱社長が持参されたラスベガスのネオン風景ビデオを映写したところ、出席者一同かなりのカルチャーショックを受けられたようだったが、そのあと「協会30周年記念ビデオ」(英語版)で日本のネオン作品が次々と紹介されると「さすがに日本だ」といった雰囲気が漂い、大いに面目を施した次第。最後にROTOBOの肝いりで小野博之理事の著書「世界サイン紀行」とPAL/SECAM「協会30周年記念ビデオ」(英語版)を全員にプレゼントして、セミナーを終了した。

●ウラジオストクの印象
 ウラジオストクは人口80万の大都市である。1847年38歳で東シベリア総督となったムラヴィヨフ・アムルスキーの活躍でニコライ1世のロシア帝国はアムール川流域に勢力を伸ばし、1860年ロシア人の一隊がウラジオストクに上陸、同年清国との北京条約によってロシアはウスリー川右岸・沿海地方を併合した。1992年対外解放されるまでこの町はロシア太平洋艦隊の根拠地として門戸を閉ざしてきた。また、1891年大津事件で津田巡査に切りつけられたニコライ皇太子が12日後にその開通式典に出席したという有名なシベリア鉄道の最終地点としても名高い町である。

 湾の四方を山に囲まれた堅固な軍港だが、夜ともなると宝石のような灯火が海面に反射して美しい街並みを示す。未だネオンサインと呼べるような看板はほとんどないが、豆ランプを使っての電飾は随所に見られ、将来の発展を暗示するようだ。

 滞在中の気温は夜には零下10度をはるかに下回り、昼間でも零下5度程度、1月の平均気温は―12.5度だが、8月は19.3度となる。

 宿泊したホテルが韓国資本であったことでもわかるが、韓国、中国の進出も目覚しい。在留法人はシベリア出兵当時の1919年に6千人にまで達したが、1923年には7百人程度に激減、現在はビジネスマンを中心に100人程度である。

 現地では、システマアート社シャイデンコ社長のご好意で同社副社長宅に、また住友商事ウラジオストク事務所鏡所長宅にそれぞれお招き頂き、現地の事情をつぶさに伺うことが出来た。シャイデンコ社長宅では、通訳の村松さんが「今夜はウオツカ攻めを覚悟しておいてくださいよ」と言っておられたにも拘わらず、ボリス工場長をはじめ米国で発行されたネオン教本を頼りに懸命に勉強中の出席者から夜を徹しての猛烈な質問攻めで、新濱・加藤両社長ともお酒どころの騒ぎではなかった。ロシアで急速に成長しつつあるニュージェネレーションの実態を垣間見る思いがした。一方住友商事はトヨタ自動車のディーラーを100%出資で経営したり、森林地帯で大規模な製材工場を運営するほか、ハバロフスク、ナホトカ、ユジノサハリンスクを含め沿海州で4拠点を展開しており、日本企業も米国、ドイツ、カナダなどの進出企業を抑えて健闘している様子だった。

●おわりに
 ROTOBOでは、今回のセミナーの結果を検討して、場合によってはロシア企業家の日本における研修計画に「屋外広告」を含める可能性もあるという。当協会としての対応は幹部によってその時点で検討されることとなろうが、いずれにせよ、かの地で知り合ったロシアの人たちが厳しい環境にめげず成功されることを祈って稿を閉じたい。

 

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