「自分で作ったネオン管が取り付けられた現場は必ず見に行きます。点いていると、ほっとします」豊永公さんは金沢弁が身についてすっかり土地っ子と思いましたが、生まれは高知。
「高知から33年に同級生二人で大阪のミナミのネオン屋さんに住み込みで就職。1、2年は毎日現場でネオン管の取り付け、夜は会社で電極のリベット線、リード線、マイカ入れの作業をしていました。管曲げ職人さんを横目で見ながら、いいなぁ?と思っていましたが、なかなかチャンスがなかったんです。やっと憧れの電極作りを教えてもらえたけれど、なかなかうまくいきません。ガス入れには苦労しました」
ネオン管はガス入れで決まる。管は破損するというより、ガス入れが悪いと一ヵ月もたない事がある。「住み込みでしたので、夜、隠れてこっそり曲げの練習をしました。苦労したのはネオン管。修理で外してきた管で練習しました。社長が材料、製品を大切にする人だったので、電極も手作り。銅板10cmもあれば電極になります」
39年に、務めていた会社が倒産、縁があり福井、金沢のネオン会社へ。
独立は59年。管曲げに専念して最盛期は一人で一ヵ月3000本近く作ったそうです。「色々ありましたが、大阪で修業した経験が力になっています。まだまだですが頑張ります」と、丁寧な仕事ぶりがうかがえる豊永さんです。
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