Vol.67
 腕自慢・ワザ自慢59 [ネオン管曲げ、取り付け] 
北陸支部 豊永 公さん
とよながネオン

豊永 公さん  「自分で作ったネオン管が取り付けられた現場は必ず見に行きます。点いていると、ほっとします」豊永公さんは金沢弁が身についてすっかり土地っ子と思いましたが、生まれは高知。
 「高知から33年に同級生二人で大阪のミナミのネオン屋さんに住み込みで就職。1、2年は毎日現場でネオン管の取り付け、夜は会社で電極のリベット線、リード線、マイカ入れの作業をしていました。管曲げ職人さんを横目で見ながら、いいなぁ?と思っていましたが、なかなかチャンスがなかったんです。やっと憧れの電極作りを教えてもらえたけれど、なかなかうまくいきません。ガス入れには苦労しました」
 ネオン管はガス入れで決まる。管は破損するというより、ガス入れが悪いと一ヵ月もたない事がある。「住み込みでしたので、夜、隠れてこっそり曲げの練習をしました。苦労したのはネオン管。修理で外してきた管で練習しました。社長が材料、製品を大切にする人だったので、電極も手作り。銅板10cmもあれば電極になります」
 39年に、務めていた会社が倒産、縁があり福井、金沢のネオン会社へ。
 独立は59年。管曲げに専念して最盛期は一人で一ヵ月3000本近く作ったそうです。「色々ありましたが、大阪で修業した経験が力になっています。まだまだですが頑張ります」と、丁寧な仕事ぶりがうかがえる豊永さんです。

 

 う・ち・の・会・杜 
関東甲信越支部 桂工芸(株)
若林秀和さん

若林秀和さん   桂工芸(株)の創業は昭和48年5月。「2人代表で運営していました。創業時から私も参加していましたが、看板の製作、取り付けが主な業務内容でした」と、昭和60年から現社長の若林秀和さん。
 「7、8年前から業務の拡張と共にクリエイティブな部分の充実を図ってきました。大手代理店とのおつき合いが増えるにつれ、こちらももっと突っ込んで、一緒になってやっていかないと仕事には結びつかない。大手広告代理店と仕事をさせていただくことは非常に勉強になります」
 企画の後段階のデザイン、製作そして、製品を納めるというところまでの一貫作業。質の高いデザイン力と全体をまとめるソフトが重要になります。
 昭和58年に会社を三鷹から青山に移転、現在の神宮前には8年前から。
 社員は14名。内デザイナーは3名。 
 平均年齢35、6歳と仕事盛り。2年に1度は海外へ社員旅行、明るい雰囲気を大切にする会社です。「大手広告代理店の良きパートナーとしての位置の確立を目指しています」

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