「おれがやらなきゃ誰がやる!」と吉田英二さんがネオン管曲げに発奮したのは、 勤め先の当然の倒産。会社がなくとも仕事場とお客様は残る。「逃げ出すことができ
なかった。やるしかない」
債権者が押し掛けるので、すぐに看板を掛け替えて、新たにネオンプランナー清英 としてスタート。「社名の由来は“清い英雄”正攻法でやる。ずるいことはしない」
と、きっぱり。
管曲げの初体験は吉田さんが25歳の時、さそわれた会社で「1日でやめようと思っ たよ。暗いし、水銀はあるし、でも、なかなか面白いしどんどんはまっていくうちに
欲も出てきた。金も儲かるゾと」
心意気は「ネオン管にどれだけ息吹を吹き込めるか。ワザというものは見たり聞い たりして出来るものではない。授かるもの。きれいな心で挑んでこそきちんとしたワ
ザになる」
「うちはこの不況でも単価を変えないでなんとかやってこれた。単価が低いから。そ れは二流の自負。うちはけっして一流ではないけれど、腕でもワザでもなく1本の修
理管のために県外より遠路はるばる来てくださるお客様が自慢。人との信頼関係がな ければ、ネオン管は本来の輝きを放つ事はできないと思い今日までやってきた」「昔
から神輿屋、担がれればすぐ走る」根っからのお祭男は、仁義に厚い。いょ!親分。
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